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はじめに
 筆者は黎明館の建設当時から当館に勤務し、その開設に関係し、また13年目での展示改装にも携わることができた。ここでは、一つの博物館の誕生から第二世代の展示に改装するまでの歴史をつづってみたい。

1 黎明館の誕生

(1)黎明館誕生のいきさつ

 昭和43年は、明治維新から100年目を迎える年に当たり、国を始め、全国各地で各種のイベントが開催された。鹿児島県においては昭和41年頃から記念事業委員会が設置され、鹿児島県が近代日本の礎となった明治維新の中心的役割を果たしたという観点にたって、どのような事業を行うべきか検討が重ねられた。その結果、1 記念祝典の開催、2 記念会館及び記念公園の建設、3 記念出版の3大事業を行うことが決定された。記念祝典は、昭和43年4月に前夜祭、式典、マスゲーム等一連の行事が県下の市町村、職場、学校等の代表が参加して盛大に行われ、新しい世紀に向かって郷土の発展を誓い合った。記念会館及び記念公園の建設は、青少年の育成に寄与する施設を鶴丸城跡に建設するとともに、南洲神社に隣接する南洲公園を整備して記念公園とすることであった。このうち、記念会館の一部が黎明館(当時は明治百年記念館と言っていた)の誕生に連なっていくが、このことはあとで詳しく述べたい。また、記念出版については、明治維新において郷土の先輩たちが果たした役割を広く知らせるために、明治維新史を中心とした青少年向けの読み物を刊行した。さらに、薩摩藩における維新前後の史料が、未だまとまったものが編集刊行されていなかったので、純粋に学問的立場にたった資料を刊行することになり、昭和43年4月維新史料編さん所が設置され、刊行が始められた。この事業は、黎明館の開館と同時に当館の事業に取り込まれた。

(2)黎明館の建設準備

 明治百年記念館(現在の黎明館、以下黎明館という)の建設は、昭和44年4月明治百年記念館建設調査室が県の総務部に設置されたときから本格的に始まった。また、建設に必要な調査研究機関として、同年8月記念館建設調査委員会が設置され、さらにこの要項に基づき資料収集専門委員、顧問が委嘱された。この委員会は、昭和48年3月に解散するまで延べ21回開催され、建設計画案の検討、記念館の基本的性格・展示構想・建設基本構想・テーマ展示シナリオの検討、建設基本計画案の決定等を行っている。この時点での記念館のオープンは、昭和49年頃を目標として計画されていたが、建設予定地であった鹿児島大学医学部の移転の遅れにより延期になっている。  ここで、建設基本構想(昭和45年5月決定)の内容を紹介してみたいと思う。最初に目的として、郷土の豊かな伝統、文化遺産及び自然に対する県民の正しい理解と愛情を深め、豊かで意義ある生活に資するために建設することを掲げている。この頃は、自然史を含めた総合博物館を想定していた。
 次に基本的性格としては、1.郷土の歴史的、文化的遺産及び自然を紹介するとともに、わが国の近代化に尽した鹿児島の特質をうきぼりにする、2.郷土鹿児島の発展に取り組んできた人々の姿をえがき、明るい未来を実現するための自覚をつちかう郷土博物館とする、3.博物館の持つべき諸機能を調和的に運用し、特に青少年の健全育成に資することを重点にする、4.文化活動や学術研究に資する機能を持つ博物館とする、5.県内の博物館施設の活動を助け相互の協力を図り、活動を促進するための連絡調整を行う等を掲げ、特色ある博物館活動を期待している。
 次に全体構想を示しており、1.建設場所は鶴丸城跡(当時鹿児島大学医学部があった)である、2.記念館は、総合館と歴史・美術・民俗・考古・自然・科学技術等いくつかの部門別館をつくり、必要な場合は地方に分館を備えた総合博物館とする、3.第1期計画として総合館を建設する、4.総合館には当分の間、テーマ館・歴史館、その他部門別館・郷土美術館・特別展示場・研究、教育・中央管理等の機能を持たせ、博物館の望ましい将来の姿を、限り無く理想的に表現している。今、思い出してみると、スミソニアン博物館のような大きな組織を夢見ていたようだ。
 最後に機能を示し、1.展示、2.資料収集・整理・保存、3.教育・研究活動、4.運営に分けて構想を描いている。展示については、「科学的根拠に基づいて行い、実物資料を中心にしながらジオラマ、模型、音響、映像等を有効に活用する」「屋内・屋外展示を関連付ける」「老人、子供、身体の不自由な人びとのことを十分配慮する」等を記しているが、これらは建設に当たって十分生かされたと思う。また、展示はテーマ展示・部門別展示・特別展示で構成するとし、テーマ展示についてはテーマ基調を設定、部門別展示は実物資料を中心にし専門的研究にも耐えるもの、特別展示はテーマ展示・部門別展示を補うもので臨時に行うとしている。展示の構成については、別途述べる。資料の収集については、「収集目標点数を展示資料の5〜10倍程度として積極的に確保する」「県の施設で所有する資料は一括保管、指定文化財については原則として収蔵管理する」「県外に流出したり損滅する恐れのある資料は優先的に収集し、県外に流出した資料については回収を図る」「収集に当たっては寄贈・寄託を原則とするほか、レプリカの作成、無形文化財の記録保存、体系的な収集を行う」等を掲げている。また、収集した資料については、合理的な整理の方法を慎重に検討し、保存に必要な技術の研究を進め、必要にして十分な施設、整備をもった収蔵庫を建設することにしている。ここで、資料の整理に必要な分類表のことについてふれておくと、これはよほど慎重に検討して作成しておかなければ、ある時点まで収集が進んでくると途中での見直しが不可能となり、いつまでも不便を強いられることになる。データベースを作るとき等に、その時点で見直しする方法もあると思われるが、これもまた大変な作業となり、時間不足等で古い分類表のまま作業を進めることになりかねない。あらゆる資料を考慮に入れた、慎重な分類表作りは、資料収集の第一歩である。
 教育・研究活動については、観覧者のためのオリエンテーションを行う施設・設備・要員の確保、特に学校教育との有機的連携を図り、研究者や研究団体には研究集会等の場を提供し、その活動を助け、郷土研究に関する資料を収集整理して利用に供するほか、県内の博物館施設とも密接な協力関係の維持を図り、美術作品の発表の場も提供する構想を描いている。例として、オリエンテーションルームについて述べるが、映像・音響装置を備えた80席程度の部屋を確保し、要員としては委託職員を当てることで対応してきたが、当初考えたより利用客が少なく、有効に活用されなかった。これは反面、学校教育と密接な連携を取りにくかったということでもあると思う。
 開館までの歩み、建設の概要をまとめると以下のようになる。

『開館までの歩み』

昭和
41.10 明治百年記念事業委員会が設立される(44年3月まで)
42.3 総会において、1.記念祝典
          2.記念会館及び記念公園の建設
          3.記念出版の三事業を決定
44.4 県総務部に明治百年記念館建設調査室を設置
44.8 明治百年記念建設調査委員会を設ける(48年3月まで)
47.2 記念館建設基本構想を策定し知事に報告する
47.12 記念館建設基本計画案を策定
   48.1 展示シナリオ案を策定
48.5 明治百年記念館建設準備委員会を設ける(50年4月まで)
48.7 記念館建設基本計画を決定
50.1 建築・造園の基本設計を完了
50.3 展示の基本設計を完了
55.5 展示シナリオを決定
56.3 建築実施設計を完了
56.7 建築工事に着手、8月7日起工式を行う
56.9 展示実施設計を完了 
57.7 展示工事、外構・造園工事に着手
58.1 記念館の正式名称を、公募により
   「鹿児島県歴史資料センター黎明館」と選定
58.3 建築工事、外構・造園工事を完了 
           58.4 鹿児島県歴史資料センター黎明館発足
       58.8 展示工事を完了  
58.10 開館


『建設の概要』

敷地面積 44,475.64m2
建築面積 7,226.939m2
延床面積 15,985.44m2

□ 設 計  
          建設(基本) (株)谷口吉郎建築事務所
建設(実施) (株)久米建築事務所
      (株)豊建築事務所
展   示 (株)丹青社

□ 施 工
建築工事 鹿島建設(株)
     小牧建設(株)
     (株)新生組
展示工事 (株)丹青社

□ 仕上概要

・構 造
本館 鉄筋コンクリート造一部鉄
   骨鉄筋コンクリート造  
   屋根 日置本磨き瓦葺

・工 期      
      着工 昭和56年7月
完成 昭和58年3月(建物等)
   昭和58年8月(展 示)
 


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