「彦根屏風」は、代々彦根藩主であった井伊家に伝来したことからこの名があります。現在は本館の所蔵品を代表する名宝であるだけでなく、類い希な傑作として高く評価され、国宝に指定されています。
この屏風の制作時期は、17世紀の前半と考えられています。そして、舞台は当時の京都の遊里と推定されています。当時の遊里は、極めて高い教養を必要とする一種の文化サロンで、流行の発信源でもありました。現在の日本の着物の源流となる小袖、女性の多様な髪型、貿易でヨーロッパから輸入した煙草や洋犬などが描き込まれ、当時の風俗を活き活きと伝えています。
画面は、背景を一切描かずに金箔で覆いつくし、極めて洗練された感覚で人物を緊密に配しています。髪の毛の1本1本までも表現する細かい筆致、布の光沢のような質感までもあらわそうとする繊細な表現は、日本の絵画ではほとんど類例がなく、見る者を圧倒します。そして、人物の動作や遊びにはそれぞれ隠喩的な意味があり、限られた教養人のみが分かるという、奥の深い魅力も兼ね備えています。
本展では、彦根屏風の実物とともに、部分の拡大写真なども展示します。彦根屏風の魅力をじっくりと堪能いただければ幸いです。
湖東焼は、江戸時代末期(19世紀)に彦根城下の商人によって始められたやきものです。その後、彦根藩が窯を買い上げて、藩の経営で生産を行い、数々の名品を世に送り出してきました。
湖東焼は、磁器の製作を主力としました。白磁の素地に、赤や金で細かな図柄を描いた赤絵や金襴手の作品や青・緑・黄なども用いた多彩な色絵の作品、コバルトの発色の清々しい染付の作品には、湖東焼の確かで高い技術を見ることができます。こうした技術は、日本各地の窯から工人を集め、その技術を学ぶことで培われました。大名の間で贈答されるような高級品から、一般庶民も入手できるような大量生産品まで、幅広い生産で湖東焼は隆盛を極めました。
しかし、徳川幕府が倒れて江戸時代が終わり明治時代になると、藩の後ろ盾を失って窯は衰退し、明治28年(1895)に67年の歴史を閉じます。湖東焼を支えた工人たちは、各地の窯に散り、やがて日本の近代工芸の担い手として活躍していく者も現れました。
この展覧会では、湖東焼の優品を展示し、江戸時代後期の彦根を彩ったやきもの文化を紹介します。