サッカーワールドカップの開催に湧くブラジル。2016年のオリンピックを控え日本中、世界中の注目を集めている。南米大陸の約半分を占める広大な国土は世界第5位、日本の約23倍。カラフルな国旗は豊かな自然を表す緑、豊富な資源を表す黄、透き通った空を表す青と言われている。日本人にとって遥か2万キロ離れたブラジルは地球を半周した正反対にある最も遠い国の一つだ。サッカー、コーヒー、サンバやボサノバ、カーニバルなど様々なイメージが浮かぶが決して忘れてはいけない事実がある。それは世界最大150万人に及ぶ同胞、日系移民を擁する国である事だ。その人達は多種多様な民族や文化が渦巻くブラジルの中で誰よりも力強く生き、その強靭さで尊敬を集めている。最も遠くにある国が実は日本に最も関係の深い国なのだ。始まりは今から106年前、明治41年(1908年)に神戸港から出発した781人の日本人移民だった。新天地への移民を企画したのは水野龍という人物で本門佛立宗の信徒であった彼は過酷な開拓生活に信仰の力は欠かせないと考え僧侶の同行を求めた。これに応えて第一回移民船・笠戸丸に乗船したのが当時22才の青年僧・茨木現樹、後の茨木日水だった。移民たちの生活は熾烈を極め、夢は血と汗の中に消え、わずかな希望も照りつける太陽によって渇いてゆくようであった。しかし彼らは決して立ち止まることなく、この南米の大地に確固たる足跡を刻んでいった。今では「日本人が来てくれたからこそ豊かな国となった」「ジャポネス・ガランチード=日本人なら信頼できる」という言葉があるほど日系人は「ブラジル社会に欠かせない存在となる。そのようになり得た理由の核心部には辛酸極まる歴史の中で、なお輝きを失わなかった日本人の誇るべき徳性と精神性があった。そして仏教は彼らの傍らで脈々と生き続け、その魂を支え続けてきた。第一回移民船・笠戸丸によって伝えられた仏教は、すでに「日系人の仏教」から「ブラジル人の仏教」へと広がり、人々の心を照らしている。ブラジル日系移民106年とはブラジル仏教伝来106年。その軌跡と現在をご覧いただきたい。ワールドカップイヤーである今年、どうか、はるか彼方のブラジルに日本人の素晴らしいアイデンティティ、誇りや喜びを見つけてほしい。
サッカーワールドカップを入り口にブラジルと日系人の歴史、その未来を仏教の視点から見つめる