日本における医は、中国や朝鮮半島、さらにヨーロッパから伝えられ、江戸時代という平和な世のなかで独自に発展してきました。東西からもたらされた様々な知識と技術に基づいていますが、人々が安心に社会生活を営むための「仁術としての医」が基本的理念となっています。
江戸時代の人々は、長崎に輸入された漢籍・蘭書から医に関する知識、そして理念を学ぼうとしました。当初、医を受けることが出来たのは一部の人たちであり、また伝来した医術をそのまま受け入れ実践する中で始まりました。やがて医術も日本独自に発達し、一部の人の知識であった医術知識が様々な形で社会に広がり、養生のような予防医学的概念も形成されました。例えば山脇東洋が日本初の人体解剖をおこない、その情報により各地で解剖がおこなわれるようになりました。また、杉田玄白らが翻訳した『解体新書』は、蘭学が急速に日本中に広まるきっかけとなりました。人々を救うために、正しく人体がどのような構造であるかの解明が、漢方医らも含めて始まっていたのです。さらに中国の人痘、西洋の牛痘は、その効用が認められるとすぐに幕府も率先して普及に努めました。これらの医術の普及は漢方・蘭方を問わない医師の仁の心と、養生のように誰もが少なからず医の知識を持つ社会体制があったからなのです。
幕末から明治維新後にかけて、漢方に代わり西洋医学が中心となります。オランダ人医師ポンペや松本良順はその近代化と発展に尽力し、長崎は近代医術の出発点となりました。
本展では、当時の希少な解剖図などの史料の他、江戸時代の医療道具等も展示し、中国から来た漢方と西洋から来た蘭方が、「医は仁術」が実践された日本で、いかに独自に発展して人々を救ってきたかを探ります。 長崎会場では、長崎歴史文化博物館・長崎大学の収蔵資料を中心に、東西から日本へもたらされた医術の情報や漢方薬種などの貿易、さらには日本における近代医学の起源となった医学伝習所など、「医は長崎から」の姿を紹介します。