2016(平成28)年、山種美術館は開館50周年を迎えます。当館は、山種証券(現・SMBCフレンド証券)の創始者である山﨑種二(1893-1983)のコレクションをもとに、1966(昭和41)年、日本初の日本画専門美術館として開館しました。現在、約1800点におよぶ所蔵品のうち、中核をなす近代・現代日本画のコレクションは、種二と画家達との親しい交友を通し、収蔵された点に特徴があります。開館50周年記念第1弾として開催する本展では、国内屈指の作品数(135点)を有し、まだ無名だった研鑽の時代から50年以上にわたり、当館の歴代館長と親しく交流した画家・奥村土牛(1889 - 1990)に焦点を当て、その全貌をご紹介します。
土牛は、画家志望であった父親のもと10代から絵画に親しみ、梶田半古(1870-1917)の画塾で生涯の師と仰ぐ小林古径(1883 - 1957)に出会います。38歳で院展初入選と遅咲きでありながらも、40代半ばから名声を高め、100歳を超えても制作に取り組みました。また、半古や古径から学んだ「写生」や「画品」を重視する姿勢を生涯貫き、「絵を通して伝わってくるのは作者の人間性」という自らの言葉を体現するような、清らかで温かみ溢れる作品を数多く生み出しました。
本展では、画業の初期の作品《麻布南部坂》(個人蔵)、《胡瓜畑》(東京国立近代美術館)から、活躍の場であった院展への数々の出品作《雪の山》《聖牛》《城》などを中心に、古径を偲んで描いた《醍醐》《浄心》や、実景の丹念な写生に基づく《鳴門》といった代表作など、他所蔵先から拝借した名品を含め約60点を通し、土牛の101年の生涯をたどります。
土牛という雅号は、「土牛石田を耕す」の中国・唐の詩から父親が名付けたものです。その名の通り、地道に画業へ専心し続けた土牛。80歳を超えてなお「死ぬまで初心を忘れず、拙くとも生きた絵が描きたい」と語り、精進を重ねました。山種美術館が開館50周年を迎えるこの機会に、当館と縁が深く、近代・現代を代表する日本画家として、人々に愛されている土牛の作品と生涯をご紹介いたします。