1933年の昭和三陸津波を教訓にしようと宮城県が沿岸32カ所に戦前設けた復興記念館が、老朽化に伴う取り壊しや東日本大震災の津波による流失で、わずか1カ所だけになっている。
唯一残っているのは気仙沼市唐桑町の宿(しゅく)集会所。1936年建築の木造平屋で、補修工事を重ね、壁やトイレなどの老朽化が著しい。
昭和三陸津波は宮城、岩手両県の沿岸部で3000人以上が死者・行方不明に。宮城県は1935年ごろから地震や津波の資料を展示し、平時は講演会の場・災害時には避難所として使える復興記念館を沿岸各地の高台に建設していた。
戦争を挟み、小学校などに変わったものが多い。昨年の震災前の時点で記念館は5館に、大津波で同市などの4館が流失している。
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毎日jp