美しい風景を絵にする。現在ではごく一般的な行為ですが、18世紀の後半までは、そんなことをする画家はいませんでした。
それまでの画家が描いてきたのは、宗教や神話、歴史、王侯貴族の肖像など。主題を引き立てるための背景として描かれていた風景が、17世紀のオランダで「風景画」として独立し、フランスの画家たちにも広がっていきました。
19世紀になって市民階級が伸長してくると、風景画の世界も変化します。都市で暮らす市民にとって、無名の農民が暮らす農村の風景画は憧れの対象。バルビゾン派の画家たちは、分かりやすい題材を、手頃なサイズで描きました。
第1章「近代風景画の源流」、第2章「自然への賛美」1853年、ジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンがセーヌ県知事に就任。彼が辣腕をふるった「パリ大改造」により、パリは近代都市として生まれ変わりました。
この時期に整備されたパリ環状鉄道(1850~60年代に敷設)、三連のサン=ミシェル橋(1857年建造)など、近代化したパリの風景を多くの画家が描いています。
中産階級が余暇として郊外に出かけるようになると、画家たちも戸外にカンヴァスを持ち出します。このころに開発されたチューブ入り絵具も、画家の活動を後押ししました。
クロード・モネの《草上の昼食》は、パリ郊外のフォンテーヌブローの森で描かれた作品。モネはサロンに送る大作として着手しましたが、結局未完に(その作品はオルセー美術館蔵)。プーシキン版の《草上の昼食》は最終下絵として描かれ、大作が未完に終わった後に、手を加えて完成したもの、と位置づけられています。
オルセー版《草上の昼食》は後年に切断された事もあり、描かれているエリアはプーシキン版の方が広く、細部には謎めいた描写も。レアリスムから印象派へ向かうモネによる、興味深い作品です。
第3章「大都市パリの風景画」、第4章「パリ近郊 ── 身近な自然へのまなざし」鉄道が発達すると、風景画の世界も拡大します。パリの画家たちはフランス中部から南フランスまで足を伸ばし、高低差がある地形、地中海のまばゆい光などが創作意欲を刺激しました。
南仏プロヴァンスでサント=ヴィクトワール山を描いたセザンヌ。スペインとの国境に近いコリウールには、ドランとマティスが滞在し、この地でフォーヴィスムが誕生しました。
万国博覧会で異国の文化がもたらされると、画家たちの関心は海の向こうまで広がりました。
ゴーガンは熱帯への想いを募らせ、フランスの植民地だったタヒチへ。ルソーは現地にこそ行きませんでしたが、想像を膨らませてジャングルの風景を描いています。
第5章「南へ ── 新たな光と風景」、第6章「海を渡って / 想像の世界」モネをはじめロラン、ブーシェ、コロー、ルノワール、セザンヌ、ゴーガン、ルソーと、西洋画好きにはたまらない豪華なラインナップです。東京展の後に、大阪に巡回します(国立国際美術館:7/21~10/14)
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年4月13日 ]■プーキシン美術館 に関するツイート