特に日本で絶大な人気を誇るアルフォンス・ミュシャ。ミュシャをとりあげた展覧会は毎年のように行われていますが、“アール・ヌーヴォーの旗手”というテーマで括られることがほとんどです。
実は、ミュシャがアール・ヌーヴォーの作家としてパリで活躍していたのはわずか10年ほど。ミュシャの活動キャリアは60年に及ぶため、アール・ヌーヴォーはミュシャの一面に過ぎないのです。
展覧会ではミュシャの作品だけでなく、その思想や理念にも着目。今までにない試みで、ミュシャを多面的に掘り下げていきます。
もちろん、アール・ヌーヴォーの旗手としての作品も紹介。こちらは第3章です。ミュシャは1860年に誕生。挿絵などの仕事をしていましたが、パリに渡って手がけた、フランスの大女優サラ・ベルナールの芝居宣伝ポスターが大ヒットし、一躍時代の寵児になりました。
帰国後は祖国のための仕事を精力的に行いますが、チェコスロヴァキアはナチスドイツの侵攻にあって解体。ミュシャ自身もゲシュタポに逮捕されています。
1939年に78歳で永眠。当時はドイツ軍によって集会が禁止されていましたが、多くの人が弔問に訪れるなど、国民に愛された芸術家でした。
第1章「チェコ人ミュシャ」展覧会の注目のひとつが、油彩画家としてのミュシャ。ミュシャの作品といえばカラーリトグラフが代表的ですが、本展では30点以上の油彩を紹介。その作品は、従来のイメージとはかなり異なります。
第4章「美の探究」に4点並んだ油彩のうち、最後の1枚≪花に囲まれた理想郷の二人≫は、なんと世界初公開です。
第4章「美の探究」展覧会メインビジュアルに使われているのは≪ヤロスラヴァの肖像≫。ヤロスラヴァはミュシャが49歳の時に生まれた長女で、ミュシャによって繰り返し描かれ、チェコの紙幣のデザインでもモデルになっています。
頭に巻かれた白い布は、チェコの民族衣装。ミュシャはチェコ人ですが、ミュシャが生まれた当時はオーストリア帝国の支配化。列強による帝国主義が台頭する時代の中で、ミュシャはチェコ人としての強いアイデンティティを持ち続けました。
≪ヤロスラヴァの肖像≫表層だけで「優雅」「華麗」と決め付けられてしまうミュシャの深遠にあったのは、意外なまでに骨太な素顔。「ミュシャって、アール・ヌーヴォーのポスターの人でしょ?」という方こそ、見ていただきたい展覧会です。(取材:2013年3月8日)
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新人物往来社 (編集), 堺市立文化館 アルフォンス・ミュシャ館 (協力) 新人物往来社 ¥ 2,310 |