尾形光琳が亡くなった年でもある1716年。江戸画壇にとってはターニングポイントの年ともいえます。
伊藤若冲は、京都の青物問屋生まれ。いつから絵を習いはじめたのかはっきりしませんが、40歳で隠居してからは制作に没頭しました。
対する与謝蕪村は、摂津(大阪)の農家生まれ。江戸で俳諧を学び、いったん僧侶に(後に還俗しました)。36歳以降には本格的に絵を描きはじめています。
第一展示室入口から展覧会のメインはもちろん若冲と蕪村の作品ですが、この時代の日本美術を語る上で、中国絵画からの影響を外す事はできません。若冲は元明代の中国絵画に学び、蕪村もまた明清代の中国絵画を意識していたようです。
1731年には清から沈銓(沈南蘋)が渡来。ふたりが16~17歳の時に長崎に滞在した沈銓は、精緻で華麗な彩色画を描き、硬直化していた江戸時代の画壇に新風を吹き込みました。
宝暦年間に描かれたふたりの作品からは、沈南蘋からの影響も明らか。会場には中国・朝鮮画や、同時代の長崎派の絵画も並びます。
第5章「中国・挑戦絵画からの影響」展覧会の目玉といえるのが、伊藤若冲《象と鯨図屛風》。吹き抜けホールに展示されています。陸の王者と海の王者を、大胆なフォルムで描いた作品です。隣の与謝蕪村《山水図屛風》とともに
MIHO MUSEUMの所蔵。前者は2009年、後者は2008年に同館で初公開されましたが、東京には初お目見えとなります。
蕪村は晩年に若冲が住む京都・四条烏丸に転居。かなり近くに住んでいたものの、今のところ二人が直接交わった記録は見つかっていません。ただ、池大雅や丸山応挙など共通の知人がいたため、なんらかの交流はあったのかもしれません。
第2展示室と、第6章「隣り合う若冲と蕪村 ─ 交差する交友関係」晩年になっても力強く制作を続けたふたり。若冲は「米斗翁」、蕪村は「夜半翁」「謝寅」という画号を用い、充実した作品を数多く残しています。
蕪村は1784年、68歳で死去。若冲は1800年、85歳で死去。蕪村は45歳頃結婚して一人娘をもうけましたが、若冲は生涯独身でした。
第7章「翁の時代」会期が細かく6期に分かれている本展。《象と鯨図屛風》は全期間展示ですが他は大きく変わりますので、
公式サイトでご確認の上、お出かけください。
東京展の後は、
MIHO MUSEUM(7月4日~8月30日)に巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年3月17日 ]