この時代の北東アジア美術シーンについては、昨年も「
東京・ソウル・台北・長春-官展にみる-それぞれの近代美術」展が開催されましたが、本展は地域こそ日韓に絞っているものの、枠組みは官展を越えて大きく拡大。在野の活動や、美術家同士の関係についても植民地支配という従来からの見方を大きく越えて、幅広く俯瞰していきます。
展覧会は第1章「『朝鮮』との出会い」から。日本から朝鮮半島に渡った美術家や、「朝鮮」生まれの日本人美術家らの作品が並びます。特に彼らの創作意欲を刺激したのは、明るい韓服を着た妓生(キーセン)でした。
第1章「『朝鮮』との出会い」第2章は「近代『朝鮮』の風景」。日本から来訪した美術家は京城(現ソウル)の王宮建築など、日本とは異なる名所旧跡に興味を示しました。一方でこの地に移住した日本人美術家は、伝統的な画題や、何気ない風景に関心を寄せます。日韓の美術家がともに好んで描いたのは、一代名所となった金剛山(クムガンサン)です。
第2章「近代『朝鮮』の風景」第3章は「近代『朝鮮』の日常」。19世紀後半の開国以降の「朝鮮」は目覚ましいスピードで近代化。都市には近代建築が建ち並び、街には洋装のモダン・ガールやモダン・ボーイが闊歩するようになります。室内にはモダンな家具、雑誌や書籍のデザインも大きく変わっていきました。
第3章「近代『朝鮮』の日常」第4章は「美術グループと師弟関係」、日韓近代美術のさまざまな交流を紹介します。「朝鮮」では、美術学校設立の希望は長年出され続けましたが結局許可されず、新しい美術を求める人の多くは東京美術学校(現東京藝術大学)を目指し、私立学校が増えてくると文化学院をはじめ留学先も多様化しました。韓国人による韓国人のための研究・展覧会機関や、在「朝鮮」日本人によるグループ活動など、今まであまり紹介されてこなかった活動は、この章で掘り下げていきます。
第4章「美術グループと師弟関係」会場最後にはエピローグとして、戦前に活躍した美術家の1945年以降と、戦前に学び戦後に活躍した美術家の作品が紹介されています。日本の敗戦で朝鮮半島は植民地支配から脱したものの、異なる政治思想によって社会が分裂。大きな波を受けて時代に翻弄された美術家も少なくありません。
李快大(イ・クェデ)は帝国美術学校に学び二科展でも入選している実力者ですが、朝鮮戦争中に捕虜になって収監。後に越北を果たしますが、粛清されたと伝えられます。曺良奎(チョ・ヤンギュ)は戦後、南朝鮮労働党の活動に加わったため官憲に追われて日本に密航、公募展や個展で活躍しますが1960年に北朝鮮へ。1967年以後の消息は分かっていません。
エピローグ狭い海峡を挟んで、まさに一衣帯水といえる日韓両国。先人の足跡を検証しつつ、次の時代に向けて関係を深化させるのは、今を生きる私たちの使命です。
神奈川展の後は新潟、岐阜、北海道、宮崎、福岡と巡回します。日にちと会場は
こちらをご覧ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年4月22日 ]