「彫刻大工の中では“関東に行ったら波を彫るな”と言われていた」「北斎は伊八に触発されて神奈川沖浪裏を描いた」などの逸話が伝わる伊八ですが、「"伊八=波"だけで論じられるのはもったいない」という、本展を担当した石川丈夫学芸員。展覧会タイトル「波涛を超えて」は、「波だけではない伊八を見て欲しい」という願いが込められています。
会場奥の力士像は、伊八20歳頃の作品。後年の作品と比べると表現の甘さが目立ちます。江戸から離れた鴨川で、伸び伸びと制作することが許された伊八。多くの仕事で自分の表現を模索しながら、着実に腕をあげていきました。
会場入口から。奥は鴨川市・鑑忍寺の「力士(阿)」「力士(吽)」
伊八の技量を示す大作が、横須賀・真福寺にあります。老人(黄石)が川に落とした靴を張良が拾おうとする、中国の故事をテーマにしました。
左右に張り出した大樹、川の中の靴に手を伸ばす張良と、靴の中で跳ねる水、体重を杖に預ける老黄石、橋の間には得意の波と、動きがある場面を生き生きと表現しました。
欄間の制約を感じさせないダイナミックな躍動感こそ、伊八の真骨頂。この欄間は裏側もあり、さらに厚みが取れない中で波間を泳ぐ鯉を彫り上げています。
横須賀・真福寺の「黄石公」「張良」
横須賀と杉並区の各1点を除くと、伊八はほぼ南房総のみで活動していたと思われていましたが、近年、従来の説を覆す発見が相次いでいます。
昨年、熱海で伊八の作品を発見。次いで湯河原でも見つかり、その活動の範囲が一気に広がりました。
地方で過ごした“知られざる凄腕”ではなく、相模灘を渡っていた伊八の世界。「波涛を超えて」に込められた、もうひとつの意図です。
伊八のさまざまな作品。縦型の「竜」「鯉」が、湯河原で見つかったもの
会場には純粋な立体彫刻も紹介されています。厚みが無い欄間で技を磨いた伊八。制約が無い立体像では、その技量はさらに冴えわたります。
隙あらば飛びかかろうと左前脚を上げた獅子。伊八が仏壇彫刻を手掛けた個人宅にあったものです。骨格が浮かびあがった背中は迫力たっぷり。うねるような尾は、いかにも伊八らしい表現です。
伊八が作った獅子で、完全な立体像として確認されているのは、この一点のみ
鴨川市郷土資料館では、常設展示でも伊八の作品を紹介しています。
伊八が21歳頃の作品と考えられている「恵比寿・布袋・大黒」は、実際に取り付けられていた高さで展示されています。三体ともやや下方を向いていますが、欄間を見上げることを計算して彫られていたことが分かります。
鴨川市・舎那院の「恵比寿・布袋・大黒」
制作年を詳細に調べると、極めて手際よく仕事を進めていた伊八。工房を組織して活動の幅を広げ、広いマーケットに挑みました。その姿は「納得がいくまでコツコツ掘り続ける芸術家」というよりは「施主の求めに迅速・高精度で応じ、信頼で仕事を広げた辣腕ディレクター」が近いのかもしれません。
まだ分かっていないことも多い伊八の実像。今後の研究も待たれます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2013年12月11日 ]