帝展や日展などの官展で活躍し、1964年には日本芸術院会員、1969年には文化勲章を受章と、昭和から平成にかけて日本画の王道を歩んだ東山魁夷。本展では4章構成で、代表作とともに師や仲間の作品も紹介していきます。
第1章 風景画家への道
第2章 《満ち来る潮》と皇居宮殿ゆかりの絵画
第3章 京洛四季 ── 魁夷が愛した京都の四季
第4章 四季を愛でる
会場入口は魁夷の《白い嶺》から。続いて魁夷が東京美術学校時代に師事した結城素明や川合玉堂、そして後に魁夷の岳父になる川﨑小虎(魁夷は小虎の長女と結婚しました)の作品などが並びます。
会場入口から本展のメインが、横約9mに及ぶ巨大な作品《満ち来る潮》。山種美術館創立者で初代館長の山﨑種二の依頼で、魁夷が描いた作品です。
魁夷は皇居新宮殿のために、1968(昭和43)年に壁画《朝明けの潮》を制作。国賓などが宮殿を訪れる際、最初に目にする長和殿「波の間」に掲げられた作品は、宮殿の顔ともいえるこの場所に相応しい見事な出来映えですが、なにぶん場所が場所なので、一般の人はなかなか目にすることができません。
そこで「その壁画を偲ぶことができる作品を、美術館で多くの人々が見られるように」と、種二が魁夷に依頼。描かれたのがこの作品です。本展ではスケッチとあわせて紹介されています。
ちなみに、引き潮が描かれた「朝明けの潮」では、事業家であった種二としては芳しくなかったことから、験をかついで画題は「満ち来る潮」になったというエピソードも伝わります。
東山魁夷《満ち来る潮》と、スケッチなど種二は、皇居宮殿ゆかりの絵画を描いた他の作家にも、同様に制作を依頼しました。
並んで紹介されている山口蓬春の《新宮殿杉戸楓4分の1下絵》と橋本明治《朝陽桜》も、皇居宮殿ゆかりの作品。両者はそれぞれ《楓》と《桜》を、皇居宮殿・正殿松の間のために制作しています。
皇居宮殿ゆかりの絵画文豪の川端康成と親交があった魁夷。「京都は今描いといていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいて下さい」という川端の言葉に後押しされ、京都の四季を描いた「京洛四季」の連作を制作しました。
本展には1968年に発表された「京洛四季」連作の中の作品のほか、山種美術館の開館10周年・20周年を記念して描いた京都の風景などが、優れた文筆家でもあった魁夷の言葉とともに並びます。
東山魁夷「京洛四季」連作など詩情豊かな四季の表現は、東山魁夷ならでは。この時期になると、出展されているかどうか良く問い合わせがあるという人気の作品《年暮る》も展示されています。ぜひ、お着物でお出かけください(会期中は「きもの割引」実施中です)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年11月25日 ]