誰もが知っているほとけさま、阿弥陀如来。浄土信仰が盛んになると国中で崇められるようになり、仏教美術の柱の一つになりました。
館蔵の仏画を中心に、阿弥陀信仰の歴史とその広がりを紹介していく展覧会が、根津美術館で開催中です。
根津美術館「阿弥陀如来 浄土への憧れ」会場
展覧会は「はじめに」として、阿弥陀如来のなりたちから。
もとはインドでふたつの梵音(サンスクリット)で表されていましたが、中国で「阿弥陀」と音写され、日本に伝わりました。
《阿弥陀三尊来迎図》鎌倉時代 14世紀
1章は「初期の阿弥陀信仰」。飛鳥時代に日本に伝わっていた阿弥陀如来は、奈良時代になると広まっていきました。
平安時代は密教が盛んになりますが、阿弥陀如来は信仰を集め、なかでも宝冠阿弥陀は、常行三昧(念仏修行)の本尊として尊ばれました。
《阿弥陀如来像》室町時代 15世紀 / 重要文化財《金剛界八十一尊曼荼羅》鎌倉時代 13世紀
2章は「祖師たちの教え」。比叡山の僧・源信が著した『往生要集』は、日本の浄土教の基礎となり、後世に影響を与えました。
浄土教を大成した唐の僧・善導は、念仏を唱えると口の中から仏が現れたと伝わります。善導の教えを学んだのが法然、さらに法然の弟子の親鸞は浄土真宗を開きました。
《善導大師像》室町時代 15世紀
3章は「往生への祈り」。平安時代後期になると、源信の教えは貴族らにも広まります。釈迦入滅から2000年後の1052年にはその教えが力をなくすとされ、大規模な寺院が相次いで造られました。
京都の浄瑠璃寺本堂は、九体の阿弥陀如来座像が並ぶ唯一の平安時代の遺構です。印仏は中尊の像内納入品で、この展示品は初公開になります。
《阿弥陀如来像印仏》(浄瑠璃寺印仏)平安時代 11〜12世紀 根津美術館蔵 植村和堂氏寄贈
4章は「浄土の姿と阿弥陀の来迎」。鎌倉時代には浄土宗で「当麻曼荼羅」が重視されました。
これは感無量寿教の教えにもとづいて極楽浄土を絵画化したもので、楼閣が経ち並ぶなか、無数の菩薩や天人が音楽を奏でる浄土へ往生します。
《当麻曼荼羅縁起絵巻模本》冷泉為恭筆 江戸時代 19世紀 植村和堂氏寄贈
5章は「阿弥陀信仰の広がり」。鎌倉時代には阿弥陀如来の大仏も造立され、阿弥陀信仰はさらに広がります。
また信濃(長野)の善光寺本尊である阿弥陀三尊像に対する信仰も、全国に拡大。本尊の姿を模した仏像が各地で造像されました。
《観音菩薩立像》鎌倉時代 13世紀 神奈川県立歴史博物館蔵
最後の6章は「高麗の阿弥陀信仰」。仏教が国教だった高麗では、全国各地に寺院が建てられ、大量の仏画や仏像が制作されました。この時代の仏画は、朝鮮半島を代表する仏教美術といえます。
写真の《阿弥陀三尊像》は、鮮やかな尊像の表現や白いベールが美しい優品です。
《阿弥陀三尊像》高麗時代 14世紀
仏画の名品も多数所蔵している根津美術館ですが、仏画に焦点をしぼった展覧会は2019年の「優しいほとけ・怖いほとけ」展以来と、やや久しぶりです。
同時開催中のテーマ展は、展示室5は舶来物のやきものが並ぶ「注文された舶来物」、展示室6は梅雨時にふさわしい茶道具を取り合わせた「雨中の茶会」です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年5月27日 ]