運慶800年遠忌にあたる本年、運慶にゆかりある三浦一族の本拠地、横須賀で展覧会が開催されます。三浦一族の造仏に深く関与したとされる運慶。鎌倉幕府と三浦一族との関係を伝える文化財を通して、歴史の豊かさを感じられる展覧会です。章を追いながら見どころを紹介します。
運慶以前
三浦氏の長、三浦義明坐像。義明は源頼朝に仕え挙兵に協力しました。しかし衣笠城で一族と頼朝を逃がすため、平家と戦い最期をとげます。頼朝より鎌倉幕府設立の功労者として手厚く供養され、のちに神格化しました。
《三浦義明坐像》鎌 倉時代後期、国指定重 要文化財、満昌寺蔵 (7月31日まで)
運慶と鎌倉幕府
運慶が造ったと確認されている仏像は30数点。そのうち浄楽寺(横須賀市)には5躯の仏像が安置されています。本展では、浄楽寺の運慶作5躯のうち2躯、毘沙門天立像と不動明王立像を展示。いずれも国の重要文化財に指定を受けています。
運慶作《毘沙門天立像/不動明王立像》 1189 年、国指定重要文化財、浄楽寺蔵
運慶の関与を決定づけたのは、納入品の銘文の記述でした。そこには鎌倉幕府の有力御家人、和田義盛と妻、小野氏が1189年、発願したこともわかりました。
重要文化財 月輪形銘札 文治5年(1189) 浄楽寺蔵
運慶と三浦一族
満願寺にも運慶工房による制作と伝わる観音菩薩像と地蔵薩菩があります。満願寺境内から永福寺と同様の瓦が発掘調査で発見されました。頼朝によって造営された永楽寺と同じものが発見されたことは、造営、造仏に鎌倉幕府の直接的な関与が想定されます。
(左)重要文化財 《地蔵菩薩立像》(右)重要文化財《観音菩薩立像》いずれも鎌倉時代 満願寺蔵
仏像も運慶一門の関与を伺わせます。観音菩薩像の腕の装身具に注目。
重要文化財《観音菩薩立像》(部分)鎌倉時代 満願寺蔵
永福寺の出土品の中に、同じような形の装身具が発見されました。これらの類似性も運慶一門の可能性が高いと考えられます。
永福寺跡出土品 鎌倉時代 鎌倉市教育委員会
《十二神将立像》は曹源寺に伝来し、市外に寄託されていました。十二像、そろって展示されるのは24年ぶり。写実的な形相や衣紋、闊達な動きから鎌倉時代初期の運慶派あるいはその工房制作とみられます。
重要文化財《十二神将立像》鎌倉時代初期 曹源寺蔵・神奈川県立金沢文庫寄託
左の巳神像は、他の像より一回り大きく、作風も群を抜き特別な意図があると考えられていました。源実朝が巳の刻に生まれたことに由来したのではという新説もあります。
(左) 《巳神像(十二神将像のうち)》鎌倉時代、国指定重要文化財、曹源寺蔵
運慶と三浦一族の足あと
運慶、三浦一族が消えたあと、ゆかりの地には後世の人々により各地に広められた伝承を辿ります。 三浦一族のゆかりの場所が、三浦半島の大矢部付近に多く残されています。地図は1825年のもので名主の旧家に伝わりました。今は姿を消した一族ゆかりの寺社などが記され当時の様子を伺い知ることができます。
相模国三浦郡大矢部村略絵図 文政8年(1825) 横須賀市立中央図書館
三浦義村の花押がある唯一の現存文書。義村は全国各地の守護をつとめ、領主と関わりの一端を垣間見ることができます。
三浦義村書状(香宗我部家伝証文のうち) 嘉禄2年(1226 ) 東京国立博物館
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、山本耕史さんが三浦義村役を好演され、今後の活躍に期待されます。彼の役どころに、展覧会を通して三浦一族の足跡を重ねながら見ると、ドラマも一層、楽しめそうです。
三浦義村(山本耕史)シーンパネル *展示期間 ①7/6(水)-7/11(月) ②8/10(水)13時-8/16(火)
10月からは鎌倉幕府に重点を置いた神奈川県立金沢文庫へ巡回します。三浦一族にスポットをあてた展示は横須賀美術館だけです。この機会をお見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:コロコロ / 2022年7月5日 ]
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