京都を代表する禅寺の一つ、東福寺。その名は奈良の東大寺と興福寺から一字ずつとって命名され、「画聖」と崇められた絵仏師・明兆の作品をはじめ、貴重な文化財が数多く伝来しています。
東福寺の寺宝をまとめて紹介する初めての展覧会が、東京国立博物館で開幕。大作「五百羅漢図」現存全幅が、修理後初公開となります。
東京国立博物館 特別展「東福寺」会場入口
東福寺の開山である円爾(えんに:1202~1280)は嘉禎元年(1235)に海を渡り、南宋禅宗界の重鎮である無準師範(1177~1249)に師事。帰国後、博多に承天寺を建立し、後に九条道家の知遇を得て、京都に東福寺を開きました。
国宝《無準師範像》は、南宋における肖像表現の頂点といえる作品です。無準が自ら賛を書いて円爾へと付与したもので、中国から日本に禅の法脈が受け継がれたことを示します。
(左から)国宝《無準師範像》自賛 中国 南宋時代 嘉熙2年(1238)東福寺 / 重要文化財《度牒》鎌倉時代 承久元年(1219)東福寺[ともに展示期間:3/7~4/2]
「聖一国師」と崇められた円爾にちなみ、その法を伝える後継者たちは「聖一派」と呼ばれます。国際性豊かで好学の気風が強い聖一派は、禅宗界でも大きな存在でした。
文字にも絵にも見える怪作《虎 一大字》は、円爾の孫弟子で、東福寺第15代住職・虎関師錬(1278~1346)の書と伝わるもの。虎関師錬は、漢詩文や書にも優れた当代きっての学僧でした。本作は、展覧会初出品になります。
(右手前)《虎 一大字》虎関師錬 筆 鎌倉~南北朝時代 14世紀 京都・霊源院[通期展示]
吉山明兆(1352~1431)は、東福寺を拠点に活躍した絵仏師。江戸時代までは雪舟とも並び称されるほどに高名な画人でした。
展覧会の目玉といえる重要文化財《五百羅漢図》は、若き明兆の代表作です。1幅に10人の羅漢が描かれ、50幅で計500人。東福寺に45幅、東京・根津美術館に2幅が現存します。14年に渡り修理作業が行われ、本展で初めて現存全幅が公開されます。
重要文化財《五百羅漢図》吉山明兆 筆 南北朝時代 至徳3年(1386)東福寺[展示期間(第1~第15号):3/7~3/27]
円爾は中国で禅を学び、帰国する際にさまざまな仏教文物を持ち帰りました。円爾と中国仏教界との交友は帰国後も続き、さらにそのネットワークは聖一派の禅僧たちにも受け継がれ、東福寺は海外交流の一大拠点として発展していきました。
国宝《太平御覧》は、宋王朝勅纂の百科事典です。北宋の2代皇帝・太宗の勅命で編纂された1000巻からなる類書(百科事典)で、この南宋版は、円爾が宋から将来したと伝わります。
(左手前2冊)国宝《太平御覧》李昉等 編 中国 南宋時代 12~13世紀 東福寺[通期展示、冊替えあり]
たびたび火災に見舞われている東福寺ですが、創建当初は、宋風の七堂伽藍に巨大群像が安置され「新大仏寺」と称されていました。
そのスケールを感じさせるのが、高さが2メートルを越える《仏手》です。仏殿本尊は、立てば身の丈が5丈(約15m)とされる、巨大な釈迦如来座像でした。
当初の本尊は、建長7年(1255)までに完成しましたが、約70年後に焼失。《仏手》はその後に再興された像のもので、明治14年(1881)の大火で本尊は失われています。
(右手前)《仏手》鎌倉~南北朝時代 14世紀 東福寺[通期展示]
東福寺が所有する重要文化財《五百羅漢図》は、15幅ずつを3期に分けて展示。「全幅を一度に」とはいきませんが、逆にいつ会場を訪れても、15幅を楽しむ事ができます。
他にも細かな展示替えがある本展。見たい作品がある方は、公式サイトの出品リストでご確認ください。東京展の後、京都国立博物館に巡回します(10月7日~12月3日)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年3月6日 ]