パリのセーヌ川岸に建つ、オランジュリー美術館。元はチュイルリー宮の庭園に建てられたオレンジ温室を改修したもので、美術館の名前もそれに由来します。
充実したコレクションの礎を築いたのは、画商のポール・ギヨームです。自動車修理工だったギヨームは、アフリカ彫刻への関心から芸術家と親しく交わるようになり、自ら画廊を開設してコレクターに。ギヨームが亡くなった後は、妻のドメニカがコレクションに手を加え、最終的にはフランス政府に譲渡されました。
同館の所蔵作品のほとんどは常設展示されており、館外にまとめて貸し出される機会はあまりありません。日本では、1998年に開催された「パリ・オランジュリー美術館展」以来となります。
展覧会はギヨーム夫妻の肖像で始まった後は、作家別に作品が並びます。順路に沿って、いくつかご紹介しましょう。
ポール・セザンヌは、20世紀の美術にも大きな影響を与えた、近代絵画の先駆者。《りんごとビスケット》は、セザンヌの傑作のひとつです。セザンヌは「りんごでパリを征服する」と、静物画の復権を目指していました。
パリの税関の職員で、余暇に絵を描いていたのが、通称「税関吏」ことアンリ・ルソー。素朴派の代表的な画家ですが、自身は「粘り強い作業」によって描いたと語っています。
本展のメインが、オーギュスト・ルノワール。モネやシスレーらとともに、屋外で絵を描きました。サロンで成功した後は印象派から離れ、後年には伝統的な手法も試しています。
《ピアノを弾く少女たち》は、最も有名なルノワール作品のひとつです。ルノワールは、同様の構図の油彩画やパステル画を、少なくとも6点は描いています。オルセー美術館蔵の作品も有名ですが、本作のほうが表情が柔らかく見えます。
ポール・ギヨームの妻、ドメニカが高く評価していた、アンドレ・ドラン。フォーヴィスム(野獣派)の画家ですが、後年には伝統へ回帰しました。フランス絵画の正統な後継者とされ、国際的な名声も獲得しましたが、その力はナチス・ドイツに利用されてしまいます。
ユトリロは、美術モデル兼画家だったシュザンヌ・ヴァラドンの庶子。アルコール依存の治療の一環としてはじめたのが、絵画でした。モンマルトルの街を描いた作品が有名で、画業の頂点とされる「白の時代」の作品も出展されています。
展覧会では、当時の美術界にポール・ギヨームと妻ドメニカが与えた影響ついても説明されています。ギヨームはモディリアーニにアトリエを与えるなど、当時は無名だった作家も積極的に支援しています。
ギヨームは自ら美術館をつくる夢は叶いませんでしたが、その死に際して創設された「ポール・ギヨーム友の会」は、マティス、ピカソ、ドラン、ブラックらが名を連ねるほど。その存在の大きさを物語っています。
横浜美術館開館30周年の記念展なので、巡回はありません。会期は約4カ月と長めですが、お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年9月20日 ]