ファンシー・グッズの歴史は、大正ロマンの画家・竹久夢二まで遡ることができます。
竹久夢二は大正3(1914)年、自身が手がけた千代紙・絵封筒・半襟などを扱う「港屋絵草紙店」を東京・日本橋に開店します。若い女性にターゲットを絞ったこの店は、まさに「カワイイ」文化の先駆けとなりました。
女学生の拡大にともなって「カワイイ」文化は拡大。大正や昭和30年ごろまでは、ファンシー・グッズの花形は「手紙もの」でした。
「手紙もの」会場では「カワイイ」文化のキーとなった人物を何人か紹介しています。
日本初の長期連載少女漫画「くるくるクルミちゃん」を描いた松本かつぢもその一人。
かつぢが描いたクルミちゃんは愛すべきキャラクターとして多方面で商品化され、少女キャラクター・グッズの元祖ともいえる存在です。
松本かつぢ日本が高度経済成長期に入ったころに活躍をはじめた内藤ルネは、「カワイイ」文化の最重要人物のひとりです。
少女が大人になることを急かされなくなった時代。ルネは読者と同じ年頃の中学生くらいの少女を幼児体型にデフォルメし、未成熟であることに価値を見出したのです。
内藤ルネ水森亜土の存在も欠かせません。ハワイに遊学して開放的な感性を持っていた亜土は、幼児体型の女の子にセクシーな要素を取り入れました。
亜土の表現は、まさに「エロカワイイ」の元祖。亜土が枠を取り払った「カワイイ」文化は「キモカワイイ」「大人カワイイ」とバリエーションを広げ、現在の隆盛に繋がっていったのです。
水森亜土会場は2フロア・2室。展示品も決して多くはありませんが、展示解説が秀逸です。「カワイイ」文化を論理的に紐解いており、読み応えがあります。
展覧会にあわせ、担当の中村圭子学芸員による書籍「日本の「かわいい」図鑑 ─ ファンシー・グッズの100年」も、4月24日に発売されます(河出書房新社刊、1680円+税)。
取材は平日の昼間。来館していた年配の女性グループは、ミュージアムグッズ売り場で一応に「これ、カワイイ!」と品定めをしていました。(取材:2012年4月18日)