日記をつづるように作品を描き続けた天才ピカソ(1881-1973)。
20世紀最大の造形革命(キュビスム)を創始し、亡くなるまでの間、ものの形の本質とは何かを問い続けた画家です。
天才が天才と言われるゆえんはいったいどこにあるのでしょうか。
ピカソはアカデミーの教育をはじめ、スペインの巨匠やフランスの画家たち、イベリアやエジプト美術の影響を受け、スタイルを自在に変化させながら、膨大な数の作品を制作しました。
本展覧会では、ピカソがキュビスムに至るまでどのような軌跡をたどってきたかを、少年時代(13-20歳)、青の時代(20-23歳)、バラ色の時代(24-25歳)、キュビスムとその後(26-40代)に分けて展示しています。
キュビスム以前の青年期のピカソの作品は、メランコリックな青い色調を特徴とする「青の時代」と精神の落ち着きをみせるピンクを主調色とする「バラ色の時代」に分けられます。
ピカソの天才たるゆえんを語るとき、この2つの時代を抜きに語ることはできません。この大変希少な「青の時代」と「バラ色の時代」の油彩画のうち、国内では過去最多となる8点が展示されます。
キュビスムに至るまで、ピカソはどんな画家に影響を受け、スタイルを吸収し自らのスタイルへと昇華させていったのでしょうか。
ここではピカソの「青の時代」を象徴する一点を紹介します。この絵はピカソの《スープ》(1902年)という作品です。
パブロ・ピカソ《スープ》1902年 油彩/キャンバス 38.5x46cm オンタリオ美術館
Art Gallery of Ontario, Toronto Gift of Margaret Dunlap Crang, 1983 83/316
©2016-Succession Pablo Picasso-SPDA[JAPAN]
描かれているのは母親と娘でしょうか。
嬉しそうにスープを受け取る娘と不自然なまでに背中を丸めた母親。この二人が意味するものは何なのでしょうか。
この絵をめぐっては、キリスト教美術ではおなじみの受胎告知のシーンが下敷きになっているという説や、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824-1898)が描いたパンテオンの聖ジュヌヴィエーヴの壁画の影響を受けたという説もあります。
ピカソの天才たるゆえんは自分だけのスタイルに固執せず、他の画家からの影響を受け、多様なスタイルに挑戦し、それを自分のスタイルとして昇華していく点にあるのではないでしょうか。ピカソの天才の秘密をぜひ会場へ探しに行ってみてください。
※作品展示は前期(4月9日~5月22日)と後期(5月24日~7月3日)に分けられ、作品の一部が入れ替わります。
左から《ボタン》1901年、《キク》1901年。どちらもファン・ゴッホやセザンヌの影響を受けて描かれた作品です。
左から《海辺の人物》1903年、《スープ》1902年、《セバスティア・ジュニェンの肖像》1903年。最後の作品は、ピカソの支援者でもあった友人セバスティアとお互いに描き合った作品のうちの一枚。ピカソへの温かいまなざしが感じられます。
モンマルトルの丘の中腹に建つ若き画家たちの集合アトリエ、「洗濯船」。ピカソはここから目と鼻の先にあったメドラノ・サーカスの道化師をいたく気に入り、足しげく通いました。
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胤森由梨
美術が大好きな大学院生です。将来は美術鑑賞に関わる仕事がしたいと思っています。現在、instagram「tanemo0417」「artgram1001」でもアート情報を発信中です!
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