ギャラリー外観
ピカソ、ダリ、ミロそしてガウディゆかりのバルセロナという芸術都市を軸にしたユニークな展覧会が、長崎、姫路、札幌、静岡と巡回し、ここ東京ステーションギャラリーでの最後の展示がスタートしました。
スペインのカタルーニャ州にある州都バルセロナは、フランスと接するという地理的条件もあり、スペインの中でも独自の文化や歴史を持つ場所です。
また現在でもカタルーニャの独立運動が話題に上るように、スペイン内乱の時代など弾圧という悲劇もありました。
そのような華やかさと暗さの中で生きた、19~20世紀のバルセロナの芸術家たちは何を見つめてきたのでしょうか。
手前から:アウゼビ・アルナウ《バルセロナ》1897年 カタルーニャ美術館/モデスト・ウルジェイ《共同墓地のある風景》1890年代?・長崎県美術館
こちらの彫刻は、バルセロナの擬人像として制作されたものです。
台座はバルセロナの歴史の中で重要な意味を持つモンジュイックの丘から切り出された砂岩とのことです。
美しく気高いイメージは、バルセロナの人々の誇りを感じさせます。
左から アントニ・ガウディ(デザイン)カザス・イ・バルデス工房《カザ・バッリョーの組椅子》1904-06年頃/アントニ・ガウディ(デザイン)カザス・イ・バルデス工房《カザ・バッリョーの扉》1906年 /ジュアキム・ミール リガル・グラネイ社《幼少期のマリア》1910-13年 すべてカタルーニャ美術館
バルセロナを訪れる観光客の多くは、ガウディをはじめとする美しい建築物を巡ることでしょう。
本展では、カザ・リェオー・ムレラ、カザ・アマッリェー、カザ・バッリョーという代表的な邸宅の内部が窺える展示もありました。
ガウディの曲線だけで空間を表現したカザ・バッリョーなど、アールヌーヴォ独特の優美なデザインが眼を引きます。
左から:《カザ・リェオー・ムレラの椅子》/《カザ・リェオー・ムレラのコーナーテーブル》/《カザ・リェオー・ムレラの肘掛椅子》いずれもガスパー・オマー 1905年頃 カタルーニャ美術館
なお本展では、一般で呼ばれているカサ・バトリョをカザ・バッリョーのようにカタルーニャ語で表記されているのでご注意を。
左上:カザ・リェオー・ムレラ 左下:カザ・アマッリェー 右:カザ・バッリョー
私もバルセロナが好きで、何度か訪れています。
たまたまこれら3つの建築の外観写真を撮影していましたので、ご参考まで。
いずれもリュイス・マスリエラ 左:《花のペンダント》1904年頃/中央上《女性の横顔のペンダント》1908年頃/中央下《有翼のニンフ》1906-08年頃/右《蜻蛉のブローチ》1903-06年頃 バゲス・マスリエラ・コレクション ほか3点はカタルーニャ美術館
リュイス・マスリエラは、日本では「マリエラ」という名前で知られているバルセロナの高級宝飾店の3代目として生まれたデザイナーです。
建築同様、ロマンティックなアールヌーヴォのデザイン。
当時のバルセロナの富裕層の華やかな暮らしを垣間見るようです。
ジュゼップ・リモーナ《初聖体拝領》1897年 カタルーニャ美術館
1897年に開店した「四匹の猫」というカフェは、カタルーニャ地方で興った文化芸術運動であるムダルニズマの舞台となりました。
本展では、その中心人物であったラモン・カザスの作品が多く展示されており、注目です。
若き日のパブロ・ピカソも常連客で、当時のデッサンもいくつか展示されていました。
いずれもイジドラ・ヌネイ《若いジプシー女》1903年/《ジプシー女の横顔》1902年/《習作》1906年 すべてカタルーニャ美術館
富裕層が暮らす豊かなバルセロナの街の片隅で生きるロマの人々に向けた、イジドラ・ヌネイのまなざしは異色でした。
それはバルセロナの多面的な部分にも目を逸らせない真摯なまなざしでした。
エルマン・アングラダ・カマラザ《夜の女》1913年頃 カタルーニャ美術館
ステーションギャラリーの特色でもあるレンガの壁面は、バルセロナの古い町並みをイメージさせ、素敵な空間を作り出していると感じました。
最終章ではパブロ・ピカソ、ジュアン・ミロ、サルバドール・ダリたちがダルマウ画廊の後押しによって、パリに出ていき、やがてスペイン内戦勃発し、彼らが芸術を通して立ち上がった様子が展示されていました。
多くの芸術家を輩出した奇蹟の芸術都市バルセロナ。
日本ではあまり知られていない芸術家の紹介も含め、その魅力が十分感じられる展覧会でした。
エリアレポーターのご紹介 | 松田佳子 湘南在住の社会人です。子供の頃から亡き父のお供をして出かけた美術館は、私にとって日常のストレスをリセットしてくれる大切な場所です。展覧会を楽しくお伝えできたらと思います。
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