大河原さんは1947年、東京生まれ。東京造形大を卒業後、アパレルメーカーを経て1972年に竜の子プロダクション(現:タツノコプロ)に入社。新入社員の時から見込まれ「科学忍者隊ガッチャマン」で敵メカを担当。メカニックデザイナーとしての歩みはここから始まりました。
続く「タイムボカンシリーズ ヤッターマン」では、一転してギャグテイストのビックリドッキリメカを多数考案。「ガッチャマンとヤッターマンを経験した事で怖いものはなくなった」そうです。
ちなみに英語表記としての正解は「メカニカルデザイン」。ただ大河原さんは、ガッチャマンで最初にクレジットされた「メカニックデザイン」の肩書きを死ぬまで大切にしたいと語っています。
第1章「1972~1977年」1978年からフリーのデザイナーとして活躍を始めた大河原さん。70年代後半から80年代にかけてのアニメーションはロボットものが中心で、大河原さんは毎年4作から5作のテレビシリーズに関わるなど、多忙な日々を送りました。
大河原さんの名前を世に知らしめた「機動戦士ガンダム」も、この時期の作品(テレビ放映は1979~80年)。特にモビルスーツ・ザクのどっしりとした重量感は、80年代のロボットものの様相を一変させるインパクトを与えました。
「装甲騎兵ボトムズ」もファンが多い作品。鉄の質感をここまで感じさせる兵器ロボットは、おそらくこの後も生まれる事は無いでしょう。
第2章「1978~1989年」時代が平成に変わると、大河原さんの仕事を見て育った世代もアニメーションの現場に入ってくるようになります。
ただ、ロボットヒーロー=大河原さん、という図式は健在。「勇者エクスカイザー」「太陽の勇者ファイバード」などの「勇者シリーズ」、「機動戦士Vガンダム」「新機動戦士ガンダムW」などの「ガンダムシリーズ」を中心に、以前と同様に多くの作品に関わっていきます。
第3章「1990~2000年」21世紀に入っても、旺盛に活動を続ける大河原さん。2008年には「ヤッターマン」がリメイクされて、31年ぶりにテレビに復活。再びメインメカを担当しました。
「機動戦士ガンダムSEED」シリーズはガンダム史上に残る大ヒットをマーク。ちなみに大河原さんの地元の稲城市では、JR南武線の稲城長沼駅の高架下にガンダムとザクのモニュメントを設置する計画も進んでいます(モニュメント完成は2016年4月頃の予定)。
また、近年はアニメだけでなく様々なコラボ企画にも参画。稲城市の公式キャラクター「稲城なしのすけ」のデザインや、新潟県の(株)エクスマキナとは変形可能なモビリティ「EXM-002-00」も開発。現実の世界にも大河原さんの世界は拡大しています。
第4章「2001~2015年」デザインもスタッフも決定、制作スタートが確実な状況だったにも関わらず、当時の国際情勢の影響で制作が中止になった「鉄の惑星 ランディフォース」のデザイン画なども含め、ファンには垂涎の作品がずらり。公式ショップのグッズも充実していますので、お財布には余裕をもってお越しください。
本展と同じ9月27日(日)まで東京・六本木の
森アーツセンターギャラリーで開催されている
「機動戦士ガンダム展」とは、相互割引を実施(チケット提示で200円引き)。さらに両展のチケットを揃えてお台場「ガンダムフロント東京」に提示すると、スペシャルグッズが当たる抽選にも参加できます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年6月8日 ]