歌川国芳からはじまる玄冶店(げんやだな)派の本流に属する伊東深水。「玄冶店」は国芳が居を構えていた場所の地名で、現在の日本橋人形町3丁目あたり。歌川国芳 ─ 月岡芳年 ─ 水野年方 ─ 鏑木清方 ─ 伊東深水、という流れになります。
伊東深水は東京・深川生まれ。13歳で鏑木清方に入門、17歳で文展に入選するなど、若い頃から高い実力を備えていました。
師の清方は「西の松園、東の清方」といわれた美人画の大家。深水は「美人画家」として固定される事は本意ではなかったようですが、やはり師匠譲りの端正な美人画が目に留まります。
4階会場展覧会のメインビジュアルが《指》。1922(大正11)年の平和記念東京博覧会美術展で二等銀牌を受賞した作品です。当時も大変な評判を呼び、出展中も人だかりが絶える事がなかったと伝わります。
モデルは3年前に結婚した妻・好子(会場には好子の写真もあります)。縁台に腰かけて、結婚指輪をじっと見つめる好子。若妻は素肌に薄物をまとった姿で描かれ、身体の線や腰巻が透けて見える、色っぽい作品です。
《指》1922年院展・文展で活躍した深水。帝展の審査員を務め、1958(昭和33)年には日本芸術院の会員になるなど、日本画壇の中心的な存在として活躍を続けました。
本展は本画23点に加え、多くの素描も出展されています。深水がどの部分にこだわって作画を進めているか、下絵の線から見つけていく楽しみもできます。
4階から3階に進む動線です後年には、時代性を取り入れた美人画表現にも腐心した深水。ピカソの表現を参考にしたり、洋画の色面分割を取り入れた作品など、新たなスタイルにも挑戦していきました。
1972年に74歳でなくなるまで研鑽を続けた深水。白鳥映雪や濱田台児(ともに日本芸術院会員)、挿絵画家の岩田専太郎ら、多くの弟子も育てています、
洋装の美人画にも名作が多数高崎駅を出たら、目の前にある
高崎市タワー美術館。
高崎市美術館(4月10日まで「『描く!』マンガ展」が開催中)は駅の反対側にありますが、両館は徒歩で10分弱の距離です。あわせてお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年2月21日 ]■高崎市タワー美術館 伊東深水展 に関するツイート