最初は「幽霊」から。江戸三大幽霊とされる、累(かさね)(累ヶ淵)、お岩(四谷怪談)、お菊(番町皿屋敷)をはじめ、猛暑を吹っ飛ばす面々です。
巨大な髑髏に乗った武者の幽霊が描かれた《福原殿舎怪異之図》。ただ、幽霊より強かったのが平清盛。睨みつけると恐れをなして退散したと伝わります。北斎の門人、葛飾北為の作品です。
白装束で空を飛ぶのは、保元の乱で讃岐に流され平家滅亡を願いながら魔道に落ちた崇徳院の幽霊。大河ドラマ「平清盛」の井浦新さんによる熱演を思い出しました。歌川芳艶《為朝誉十傑 白縫姫 崇徳院》です。
崇徳院と同様に、権力闘争に敗れて幽霊になったのが西郷隆盛。月岡芳年は《西郷隆盛霊幽冥奉書》で、建白書を手にした不気味な姿で描いています。
「幽霊」世界中にいる「化け物」。海外ならフェニックス、ユニコーン、狼男などですが、日本も鬼、海坊主、土蜘蛛、九尾の狐など多様性は引けを取りません。
歌川国芳《源頼光公館土蜘作妖怪図》では、化け物が二手に分かれて合戦中。坂田金時ら四天王と化け物の取り合わせは武者絵の定番ですが、「化け物同士の戦い」は珍しいパターンといえます。
赤い腹が目を引くウワバミ(大蛇)と戦っているのは、小さな熊。一橋慶喜と徳川慶福(後の家茂)による将軍継嗣問題を風刺しているという説もあります。歌川芳艶《破奇術頼光袴垂為搦》です。
「化物」幕末から明治にかけて血なまぐさい事件が頻発する中、流行したのが「血みどろ絵」。芝居や講談を描いた作品のほか、上野戦争など実際の事件を題材にしたものも作られました。
この分野の第一人者は月岡芳年。《英名二十八衆句 直助権兵衛》は、殺した男性の身元がばれないように、顔の皮を剥ぐ場面です。血の部分には膠(にかわ)を混ぜて質感にこだわるのは、スペシャリストならではといえます。
歌川芳幾《英名二十八衆句 佐野治朗左エ門》のモデルは、「吉原百人斬り」の罪で処刑された実在の人物。生首の描写が妙にリアルです。
《新撰東錦絵 長庵札ノ辻ニテ弟ヲ殺害之図》も芳年の作品。極悪非道の村井長庵が義理の弟を惨殺した場面です。強弱がついた固い描線は、芳年ならでは。人物のポーズも決まっています。
「血みどろ絵」展覧会の準備中に熊本地震が発生したこともあり、第4章の「日常に起きる恐怖 ─ 描かれた災害」は数点のみの構成となりました。火事のスケッチを終えて帰宅したところ、自分の家も焼失していたという笑えないエピソードをもつ小林清親の作品などが展示されています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年8月1日 ]■怖い浮世絵 に関するツイート