生誕250年記念 歌川豊国 ― 写楽を超えた男

国芳も国貞も、彼がいたからこそ

幕末の浮世絵界で最大の勢力を誇った、歌川派。その歌川派隆盛の礎になったのが、初代歌川豊国(1769〜1825)です。生誕250年を記念する展覧会が、太田記念美術館で始まりました。

  • (左から)歌川豊国《役者舞台之姿絵 たち花や》寛政6年(1794)3月 慶応義塾蔵 / 歌川豊国《役者舞台之姿絵 きの国や》寛政6年(1794)5月 太田記念美術館蔵
  • (左から)歌川豊国《五大力》享和3年(1803) 太田記念美術館蔵 / 歌川豊国《三囲社頭美人俳優図》文政2~3年(1819~20)頃 慶応義塾蔵
  • (左から)歌川豊国《花鳥茶屋》寛政3~5年(1791~93)頃 日本浮世絵博物館蔵 / 歌川豊国《金太郎と鬼》寛政3~5年(1791~93)頃 たばこと塩の博物館蔵
  • (左から)歌川豊国《三代目市川高麗蔵の佐々木巌流》寛政8年(1796)頃 太田記念美術館蔵 / 歌川豊国《七代目片岡仁左衛門の藤原時平》寛政8年(1796)7月 日本浮世絵博物館蔵
  • (左から)歌川豊国《夜舟の宋十郎》寛政10~11年(1798)頃 太田記念美術館蔵 / 歌川豊国《蹴鞠の菊之丞》寛政10~11年(1798)頃 太田記念美術館蔵
  • 歌川豊国《洗張》寛政11~12年(1799~1800)頃 太田記念美術館蔵
  • 山東京伝 作 歌川豊国 画『善知鳥安方忠義伝』文化3年(1806)
  • 歌川豊国《「雪」「月」「花」》文化9年(1811)頃 太田記念美術館蔵
  • (左から)歌川豊国『三芝居役者声色 出たやうだ』三編 文化5~6年(1808~09)頃 千葉市美術館蔵 / 歌川豊国《蟹踊り》文化6~7年(1809)頃 太田記念美術館蔵

近年は人気沸騰といえる歌川国芳や、役者絵で絶大な支持を集めた歌川国貞(三代豊国)。彼らを育てたのが初代豊国です。

それほどの浮世絵師でありながら、近代になって評価が確立した東洲斎写楽と比べると、やや分が悪い豊国。意外にも、全体像を俯瞰した展覧会は開かれていませんでした。

今回は役者絵、美人画、戯画、版本など、画業全般を幅広く紹介します。

会場の畳のスペースは、例によって肉筆画。豊国の画業の中心は錦絵や版本ですが、少なからず質の高い肉筆画も描いています。今回は6点を展示、豊国が得意とした役者絵の肉筆画もあります。

豊国は10代半ばで歌川豊春に入門しました。初期の美人画を見ると、鳥居清長や北尾派などいろいろな画風の影響を受けており、安定しません。歌麿風を基調とした独自の表現が見られるのは、寛政4〜5年(1792〜1793)頃からです。



豊国をスターダムに押し上げたのは、「役者舞台之姿絵」シリーズです。鼠潰しの背景に見得の瞬間を巧みに描き、大評判となりました。版元は芝の和泉屋市兵衛と、どちらかといえば中堅業者ですが、これに対抗したのが超大手出版社である日本橋の蔦屋重三郎。写楽に描かせた黒雲母摺の大首絵は、完全に豊国を意識したシリーズです。

両者の争いに大ベテランの勝川春英も加わり、三つ巴の役者絵対決になりましたが、デフォルメし過ぎの写楽は不人気、春英も後に役者絵から撤退し、最終的な勝者は豊国でした。

文化期(1804〜18)には、読本や合巻の挿絵も手がけるようになります。別の浮世絵師から豊国に挿絵が変わると評判になるなど、実力を存分に発揮。特に文化前期には、北斎と競うほどの人気を誇っていました。

豊国の一番弟子といえる国貞は、真面目な正統派。一方、武者や戯画で知られる国芳は、かなり破天荒な人物でした。どちらとも上手く付き合い、それぞれの個性を活かした浮世絵師として育てあげた力量は、豊国ならではの懐の深さといえるでしょう。

なお、太田記念美術館では「秋の歌川派フェスタ」と銘打ち、歌川派の展覧会を三連続で開催。本展は第1弾で、第2弾「歌川国芳 ―父の画業と娘たち」(10/4~10/27)、第3弾「ラスト・ウキヨエ 浮世絵を継ぐ者たち ―悳俊彦コレクション」(11/2~12/22)と続きます。

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[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年9月2日 ]

ようこそ浮世絵の世界へ 英訳付ようこそ浮世絵の世界へ 英訳付

日野原 健司 (著), 太田記念美術館 (監修)

東京美術
¥ 2,160

 

ミュージアムの詳細

展覧会の詳細

会期

2019年9月3日(火)~9月29日(日)