谷中安規は、わが国の近代美術のなかでもっとも高い到達点にあった美術家のひとりです。
「風船画伯」という愛称で知られるように、これまでしばしば谷中安規はその奇行や悲惨な最期といった特異なエピソードによって語られてきました。しかし、彼は決して時代の中に孤立して生まれた存在だったとはいえません。
谷中の作品には、近代都市の風景や風俗とともに東洋的で土俗的な世界が同居しています。シネマとカフェに象徴されるモダンな都市のなかに、谷中は幻想や怪奇の闇をもみていたのでしょう。その意味で、谷中の存在は、大正から昭和にかけてのモダニズムと、土俗的な原風景が混在した、東京という都市が生み出した才能だったといえます。
この展覧会は、芸術家・谷中安規の姿と魅力を、1920年代から40年代という時代状況の中にとらえて照らそうとするものです。初期作品から、『白と黒』など同人誌に掲載された木版画や版画集、内田百間の『王様の背中』や佐藤春夫『FOU』をはじめとした数多くの挿画や装幀の仕事まで、版木や書簡等の資料も併せてアンキ・ワールドを紹介します。
本展には須坂版画美術館所蔵の小林朝冶コレクションより同人誌『白と黒』や版画集≪街の本≫、≪少年画集≫など約40点が出品されます。これは、須坂で眼科医を開業する傍ら版画を制作した小林朝冶(1898-1939)が全国の版画家達との交流により収集したコレクションの一部です。また、東京(渋谷区立松濤美術館)での開催時には出品されなかった作品も展示されます。光と影が織りなす美しい幻想世界をお楽しみください。