アニメのひとコマを人生の一日だとすれば、一生はいったい何コマになってしまうのでしょうか?[…]一生を通していかに綜合的に自分の映像をつくりあげて行くか……が、私のアニメ的思考なのです。私は一作一本コマ切り短編主義者ではありません。コマ切り短編作品をめざす作家もいれば、私のように生物学的サイクルでアニメをとらえている人間もいるわけです。[…]いかに私のように長編の中にどっかと腰をおろし、一生一作をつらぬきながら、予告編もどきの短編をいかにも完成品のようにちらつかせるのがいとむずかしきところでございます。
―中嶋興[慶應義塾大学アート・センター・アーカイヴ・中嶋興コレクションが所管するクリッピングより。掲載誌、日付は未詳だが、おそらく雑誌掲載の文章であると思われる。]
中嶋興の活動は多様である。アニメーション、写真、ヴィデオ・アート、彫刻、インスタレーション、グループ(「ビデオアース」)、企業CM、執筆、アニメーションの歴史研究、地域再生(「アニメ神社」という突き抜けた発想によって)、教育…。仮に、その多様さを内在的に捉え得るパースペクティヴがあるとするならば、それは中嶋の人生(Life)そのものだと言えるだろう。
中嶋は家族を対象とした作品《MY LIFE》(1976-)を制作している。およそ50年経った今もなお制作中の作品である。それは数十年にわたる出来事の記録をおよそ数十分へと編集し、縮約してみせる。「一生一作」である限り、全ての制作活動は同時にひとつの作品へと向けられた資料(素材)だということもできる。中嶋はアーティストであるとともに、未完の「MY LIFE」へと折り畳まれる膨大な資料群を制作するひとりのアーキヴィストでもあるのだ。中嶋の制作の諸断片と出来事を折り畳む方法を通じてアーカイヴを作るという営みについて思考する。