アイノ・マルシオ(後のアイノ・アアルト 1894 ~ 1949)が、まだ無名の建築家アルヴァ・アアルト(1898~1976)の事務所を訪ねたのは 1924 年のことでした。この時から、アイノとアルヴァのパートナー関係が始まります。彼女が加わったことで、アルヴァの建築は使いやすく心地よいという、「暮らしを大切にする視線」が加わり、空間に柔らかさや優しさが生まれたと言われています。このことは、彼が世界的建築家の道へと歩む上で極めて重要なことであったといっても過言ではありません。モダニズムへと向かう流れのなかでアアルト建築が、ヒューマニズムと自然主義という文脈を有していたことの背景には、アイノの存在が大きかったのは確かでしょう。二人の作品は 1920 年代後半になると国際的に起こったモダニズムデザインの潮流の影響を受けます。モダニズムのシンプルで実用的、コストの合理性を考えた量産化という考え方は、二人の考えとも合致しました。彼らは、フィンランドの環境特性に基づき、自然のモチーフを取り入れたデザインでモダニズムに対する独自の回答を探究していくことになります。そして、パイミオサナトリウム(1933)、ヴィープリの図書館(1935)などコンペで実現した作品は、二人を一躍世界の建築家の舞台へと押し上げ、これらの建築のためにデザインされた家具は、後のアルテック設立の道筋をつけることになります。二人の役割については、建築をアルヴァ、インテリアや家具を主にアイノが担当したと言われていますが、重要なことは、役割を切り分けることではなく、生活革命ともいえるビジョンを共有したという事実です。二人は互いの才能を認めあい、影響しあい、補完しあいながら対等のパートナーとして作品をつくり続けたのだといえましょう。
本会場では、その中でもアアルトの木工技術に焦点を当てて紹介します。世界中で愛されるアアルトの椅子。無垢材をL字型に曲げる「L-レッグ」と、積層合板による「ラメラ曲げ木」の開発について、成形から商品化までの道のりを辿ります。そして、このアアルト家具の販売と輸出管理だけではなく、展示会や啓蒙活動によってモダニズム文化を促進することを目的として設立されたアルテック社の歩みを紹介します。
【コロナウイルスにより開幕日延期】
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