坂口安吾は、明治39年に新潟で生まれました。昭和12年から13年6月まで、京都で暮らしていた安吾。「田舎へとぢこもつて、再び、生命をささげた仕事を仕遂げてきます」と手紙に心境を書き、取手に移りました。
しかし、取手の寒さに音を上げ、引っ越しを決意。三好達治から小田原に来るよう勧められ、早川橋際の亀山別荘に転居しました。
本展では、安吾の小田原での交友関係やその生涯、また作品などの業績を、2部に分けて紹介。写真資料や生原稿など、貴重な資料が展示されています。
第1部「安吾の小田原」では、小田原での実績を紹介。展示室に入ると、正面には安吾の有名な写真が。昭和を代表する写真家・林忠彦が撮影した、大量の紙に囲まれた仕事場の風景です。
安吾の文壇デビューのきっかけとなったのが、同人誌「青い馬」。会場には全5冊がすべて展示されています。安吾研究者も「全5冊が一堂に揃うのは初めて見る」とのこと。貴重な展示なので、お見逃しなく。
当時小田原で看板店を営んでいた山内画乱洞(がらんどう・本名 直孝)との交友関係も紹介されています。
昭和16年(1941)7月の洪水で、安吾は小田原に借りていた家が流され、ドテラを画乱洞に預けるなど、二人は親しく交友。同年12月8日の真珠湾攻撃を題材とした短編小説「真珠」の執筆にも、深く関わった人物です。
「真珠」は、開戦を知った後も酒を飲んだりしている「僕」や「ガランドウ」の様子と、死に赴いた特攻隊兵士を「あなた方」と呼びかけて、特攻隊員と同じ時間を生きた安吾の日常を対比的に描いた作品です。
続く第2部「それまでの安吾 それからの安吾」では、安吾の生涯が紹介されています。有名な「白痴」は、複製原稿も展示。実際にめくって観覧すると、安吾が几帳面という、やや意外な一面も確認できます。
安吾は、昭和30年(1955)2月17日の早朝、群馬県桐生市の自宅で、脳出血により急逝。享年48歳でした。前々日に高知への取材旅行から東京へ帰着し、桐生の自宅へ帰宅したばかりのことでした。
北原武夫や尾崎一雄が、安吾の追悼文を書きました。後期展示(7月24日)から《尾崎一雄 坂口安吾への弔辞草稿》や遺品の《セルロイドの筆箱》が展示されます。
温暖な気候で、明治期以降多くの政財界人や文学者が居住した小田原。坂口安吾のほか、北原白秋や谷崎潤一郎など、多くの文学者がこの地に居住しました。
文学館は、明治時代に宮内大臣などを歴任した旧田中光顕伯爵別邸で、別館の白秋童謡館とともに国登録有形文化財にとなっています。小田原城も近く、一日満喫できます。
[ 取材・撮影・文:静居絵里菜 / 2019年7月2日 ]