株式会社ZOZO創業者の前澤友作氏がバスキア作品を約123億円で購入し、大きなニュースになったのが2017年。注目のバスキア展がいよいよ始まりました。
バスキアはニューヨーク生まれ。幼い頃から絵画に親しんでいましたが、専門的な美術教育は受けていません。
キャリアのスタートはストリートから。高校を中退して家出し、グラフィティ仲間とともに地下鉄や街に描いていました。
その後の歩みは、アメリカンドリームそのものです。1980年のグループ展で絵画を初めて出品。81年にはイタリアで初個展。82年には最年少で国際美術展「ドクメンタ7」に出展し、経済的にも大きな成功を収めました。
今回は、日本で初めてとなるバスキアの大規模展です。当初の予定では約80点でしたが、最終的には約130点と大幅に拡大。絵画やオブジェ、ドローイング、立体、映像作品などが並びます。
当時のアートシーンを振り返ると、70年代までの美術が禁欲的な表現に終始していたのに対し、80年代はその反動から、エネルギッシュな具象表現が「ニューペインティング」として流行。バスキアは中心的なひとりでした。
さらに時代が進むと、ニューペインティングの画家たちは徐々に存在感が薄くなりますが、バスキアのみ別格です。21世紀になってからは、さらに脚光を浴びており、世界各地で大規模な展覧会が開かれています。
今回の展覧会では、バスキアと日本との関係にも注目しました。バスキアはたびたび来日しており、その作品には、ひらがな、五重塔、そして当時200円だったセブンスターのタバコなど、日本から参照したモチーフも見て取れます。
バスキアが敬愛したアーティストが、32歳年上のアンディ・ウォーホルでした。1982年に知り合い、作品を共同製作するなど親交を深めましたが、ウォーホルは1987年に急死。バスキアは失意の中で、1988年に死去。わずか27歳でした。
ドラマチックな生涯は映画にもなり、伝説的なアーティストとなったバスキア。日本でこれだけのバスキア作品を一度に見られる機会は、この後もなかなか無いと思われます。知的で洗練された芸術か、時代が味方した乱暴なペインティングか。アートファンならずとも、必見です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年9月20日 ]