根津美術館と
MOA美術館の至宝でもある《燕子花図屏風》《紅白梅図屏風》(ともに国宝)。基本的には門外不出のため実現不可能だったそろい踏みが、300年忌を記念してついに実現しました。一カ所で両作品が見られるのは、天皇・皇后両陛下の結婚を記念した展覧会以来56年ぶりとなります。
楽しみにしながら会場に入ると、なんと両作品はいきなり登場。向かい合わせで展示されています。
制作された時期は《燕子花図屏風》の方が先。光琳画業の集大成ともいえる《紅白梅図屏風》は、最晩年の制作です。展示室中央に立つと、右は紅白梅、左は燕子花。贅沢すぎるひと時をお楽しみください。
両国宝に挟まれる《四季草花図巻》も、あまり展示されない個人蔵の逸品です。「たらし込み」「彫り塗り」を駆使し、光琳が宗達の水墨画をよく研究していた事が分かります。
国宝《燕子花図屏風》と国宝《紅白梅図屏風》、尾形光琳の二大傑作が揃った展示室。続いて、光琳百年忌と二百年忌ゆかりの作品が紹介されます。
百年忌は、江戸時代の1815(文化12)年。酒井抱一が顕彰事業を行いました。入谷の寺院に40余点を集めて「光琳遺墨展」を開催、この時出展された作品を中心に、抱一が光琳の画を筆写したのが『光琳百図』です。会場では『光琳百図』に掲載された作品を中心に展示します。
二百年忌は1915(大正4)年。ジャポニスムの高まりを受けて光琳は世界的な装飾芸術家としての評価が確立。日本橋三越で「光琳遺品展覧会」が開かれ、97点が出品されました。この時にも《燕子花図屏風》《紅白梅図屏風》が同時に公開されています。
「光琳百年忌」「光琳二百年忌」の章最後は「光琳を現代に生かす」。このキーワードは、MOA美術館創立者の岡田茂吉が1907(明治40)年に岡倉天心から直接聞いた言葉です。天心が率いる日本美術院の俊英たちは琳派を研究し、装飾と写実が調和した表現を目指しました。
加山又造《群鶴図》も、琳派からの応用が明らかな作品。光琳から抱一、其一と継承された群鶴図を題材に、プラチナ箔の下地に優雅な丹頂鶴を表現しています。
杉本博司《月下紅白梅図》、加山又造《群鶴図》階下を下って目に入るのが、杉本博司の《月下紅白梅図》。本展のため「紅白梅図屏風」を撮りおろし、階調表現の豊かなプラチナ・パラディウム・プリントで作品にしたもの。匂い立つような存在感です。
展示室を進むと、現在活躍している作家が登場します。
藝大で加山又造の指導を受けた村上隆の《ルイ・ヴィトンのお花畑》、「フランシスコ・ベーコンが琳派だったら」をテーマにした福田美蘭の《風神雷神図》。さまざまな日本美術を下敷きにしている会田誠は、もちろん琳派からも大きな影響を受けています。
ノイズの中に浮かび上がる映像を屏風にした《Rose Castle》は、映像分野でも活躍する鈴鹿哲生。会場最後には、燕子花図屏風の記念切手に刺繍を施した超絶技巧作品も。双子のユニット、髙田安規子・政子が手掛けました。
順に 村上隆《ルイ・ヴィトンのお花畑》、福田美蘭《風神雷神図》、会田誠《美しい旗(戦争画RETURNS)》、会田誠《紐育空爆之図(戦争画RETURNS)》、会田誠《群娘図’97》、鈴鹿哲生《Rose Castle》、髙田安規子・政子《レース(燕子花)》本展の後に少し間が開いて、4月18日(土)から5月17日(日)には、
根津美術館でも両屏風がそろい踏みします。ただ、本展は「光琳が与えた後世への影響」、
根津美術館は「光琳にいたるまでの琳派の系譜」と、まったく別の切り口の展覧会です。
両展を欠かさず見る事ではじめて実感できる、日本美術における琳派の大河。ネットではなく、現物をお見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年2月11日 ]