清らかで端正な女性像で知られ、京都画壇で活躍した上村松園。おなじく美人画の名手である鏑木清方(1878-1972)とともに「西の松園、東の清方」と並び称されました。
格調高く清澄な女性像は松園の持ち味。「その絵をみていると邪念の起こらない、またよこしまな心を持っている人でも、その絵に感化されて邪念が清められる……といった絵こそ私の願うところのものである」(上村松園「棲霞軒雑記」『青眉抄』より)と語っています。
山種美術館は計18点の松園作品を所蔵。展覧会では全作品が公開されています。
上村松園の作品本展では帝室技芸員となったただ二人の女性画家、という視点からも上村松園に光をあてています。
松園は1944年に帝室技芸員に任命されましたが(最後の年に任命された15名の中の一人です)、実は女性初ではなく、松園よりも40年も前に任命された女性画家がいました。それが野口小蘋(1847-1917)です。
早くから皇族方に重用された野口小蘋。26歳で皇后陛下御寝殿に花卉図を描いたほか、大正天皇が即位した際には竹内栖鳳とともに大嘗会に用いる屏風を制作するなど、目覚ましい活躍を見せました。
野口小蘋の作品本展では帝室技芸員に任命された男性画家の作品も出品されていますが、せっかくですので女性画家の作品を中心にご紹介しましょう。
奥原晴湖(1837-1913)は前述の野口小蘋より10歳年長で、女流画家の草分け的存在。断髪令以後は短髪の男装姿で独身を貫いた文人画家です。
河邊青蘭(1868-1931)は内国勧業博覧会などで活躍し、「東の野口小蘋、西の青蘭」と並び称された人物。
河鍋暁翠(1868-1935)は名前からもわかるように河鍋暁斎の娘。同じく内国勧業博覧会などでも活躍しました。
京都画壇の伊藤小坡(1877-1968)は、大正時代から戦後まで長く活躍。松園の師・竹内栖鳳が主宰する竹杖会にも参加していました。
松園と池田蕉園(1886-1917)、島成園(1892-1970)はそれぞれ京都・東京・大阪を代表する女流画家で三都の「三園」と並び称されました。
その他の女性画家の作品最後に、九條武子(1887-1928)が手掛けた作品をご紹介しましょう。
「大正三美人」にも数えられる美貌の九條武子は歌人として知られますが、松園から手ほどきを受け、松契の雅号で作品も残しています。
展示されている《紅葉狩》は見事な美人画。松園もその画才を認めていました。
九條武子《紅葉狩》本展は実践女子学園香雪記念資料館との連携企画。同資料館では江戸時代を代表する女性画家の作品を紹介する「華麗なる江戸の女性画家たち」展が開催中です。両館は徒歩で10分程度の距離、あわせてお楽しみ下さい。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年4月20日 ]