修験道の主尊は、蔵王権現(権現は、権(かり)の姿で現れた神仏の事)。憤怒の表情と独特のポーズで表現されます。
修験道の開創者である役行者(えんのぎょうじゃ)が1000日に及ぶ修行で仏の出現を祈ったところ、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩が順に出現。優しい仏の姿では乱れた世には相応しくないとさらに祈ったところ、雷鳴とともに現れたのがこの姿だったとされています。
頭髪が逆立ち、左右の牙が出て、眼は三つ。右手は掲げて三鈷(さんこ)を執り、左手は腰に当てて剣印を結び(人差し指と中指だけを伸ばす形)、右足を蹴り上げるのが基本のポーズです。
修験道の主尊、蔵王権現奈良時代から始まる金峯山への信仰。山上に埋納された金峯山経塚からは仏像や神像などが出土していますが、中でも著名なのが国宝《藤原道長経筒》。藤原道長が寛弘4(1007)年に金峯山に参詣して埋納したもので、現存する最古の経塚遺物です。
さらに本展では、この経筒に納められていたと考えられる経巻も出展。経筒には藤原道長が自ら書写した経巻が計15巻納められていました。展示されているのはその一部で、下半は欠失しています。
国宝《藤原道長経筒》と、中に入っていたと思われる経典役行者が創建した金峯山寺。金峯山寺からは蔵王権現像のほか聖徳太子像や役行者坐像、二童子像、薬師如来坐像などが出品されています。
平安時代には前述の藤原道長をはじめ皇族や貴族もこぞってこの地を参詣するなど大いに栄えましたが、明治の神仏分離で修験道は全面的に禁止され、金峯山寺も一時は廃寺に。前述の経巻も、この時期に巷間に流れたものです。
金峯山寺は熱心な嘆願によって、明治時代の半ばに天台宗傘下の寺院として再興。戦後に天台宗から独立し、現在に至ります。
金峯山寺の仏像など鳥取県にある三徳山三佛寺。山上の崖の窪みに張りつくように建つ国宝「投入堂」は、役行者が法力で山の麓から投げ入れて建てたとされています。
近年まで、投入堂には七体の木造蔵王権現像が安置されており(現在は本堂近くの宝物館で保管)、本展ではうち6体が出品。あわせて狛犬や神像なども紹介されています。
三佛寺の木造蔵王権現像などちなみに投入堂へは岩場に垂らされた鎖をよじ登るなど、険しい登山道を進まなければ近づけないため「世界一危険な国宝」という異名も(お堂の中には入れません)。興味がある方は
公式サイトに案内がありますので、ご確認ください。
展覧会は11/3までですが、前期(10/4まで)と後期(10/6から)で一部展示替えがあります。ご注意ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年8月28日 ]