初代嘉一郎は山梨県の出身。1898(明治31)年に東京に居を移した後、東京・南青山に広大な土地を手に入れました。現在の
根津美術館は、その土地に建てられたものです。
若い頃から骨董品を蒐集していた初代嘉一郎。本展でも会場の冒頭で、初期に蒐集した水墨画や工芸品が紹介されています。
古美術界において、初代嘉一郎の名が一躍知られるようになったのは、1906(明治39)年の事でした。大阪で行われた平瀬家の売立で、初代嘉一郎は八幡名物として名高い《花白河蒔絵硯箱》を落札。落札額の16,500円は、当時の売立最高額でした。
動画の最後が、重要文化財《花白河蒔絵硯箱》現在の
根津美術館のコレクションは7件の国宝を含め、約7,400件。本展ではうち5件の国宝が展示されています。
羽毛の描き分けが見事な《鶉図》は伝 李安忠筆。足利義教の鑑蔵印「雑華室印」が捺された東山御物です。
《那智瀧図》は、仏が別の姿で現れた様子を描いた「垂迹画(すいじゃくが)」の最高峰。滝そのものが神体です。
《布袋蔣摩訶問答図》を描いた因陀羅(いんだら)は、インドの僧といわれる伝記不明の画僧。描線はぎこちなく、表情の描写は見事という不思議な作品です。
順に《鶉図》《那智瀧図》《布袋蔣摩訶問答図》。全て国宝です続いて展示室2。中央奥にある重要文化財《唐物肩衝茶入 銘 松屋》は、1933(昭和8)年に島津家の入札会で初代嘉一郎が手に入れました。
胴に流れる釉の模様が特徴的な茶入。多くの次第(仕覆、箱など茶道具の付属品)は、いかにこの茶入が大切にされていたかを物語っています。
重要文化財《唐物肩衝茶入 銘 松屋》いつもの
根津美術館だとメインの展覧会はここまでで、2階はテーマの違う同時開催展の事が多いですが、今回は1~6の全展示室が会場。「根津青山の至宝」展は2階にも続きます。
展示室4では、1935(昭和10)年にロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで開催された中国美術展に重要文化財《饕餮文方盉》が出展された模様をパネルで紹介。展示室5は「古経同好会」として、2件の国宝を含む古写経の名品を展示。展示室6では初代嘉一郎最期の茶事となった「永久訣別の歳暮茶事」の取り合わせを中心にした茶道具を紹介します。
展示室4・5・6なお、美術館の中2階では、1930(昭和5)年に開催された「第二回遠州会」の模様が放映中。益田鈍翁、団琢磨らとともに、初代嘉一郎も映像に登場します。もちろん白黒の無音ですが、茶道具関連の展覧会図録などで良く見る伝説的な人々が実際に動いているのは、少しびっくりします。聞けば、
根津美術館でも「動く初代嘉一郎」を見るのはこれが初めて、というスタッフがいるとの事。レアな映像、お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年9月20日 ]■根津青山の至宝 に関するツイート