2010年に本屋大賞を受賞した冲方丁さんの小説「天地明察」の主人公としても知られる、渋川春海。幼い頃から学問が好きで、京都と江戸を往復しながら勉学に励みました。
当時使われていた暦は、平安時代から800年以上使われていた宣明暦。長年の使用で誤差が増え、日食や月食が予報どおりに起きないなど問題が増えていました。
星の位置を調べる事は、正確な暦を作る第一歩です。渋川春海は天体の観測を重ねて、ついに新しい暦「貞享暦」を作成。精度が高いこの暦は正式に採用され、幕府が新たに設けた天文方(公式に暦を編纂する役)に就任しました。
会場には渋川春海が作った天球儀(重要文化財)や、さまざまな天文図などが紹介されています。
ZONE 1「渋川春海とその時代」重要文化財という事もあり、気軽に触る事ができない渋川春海の天球儀に代わって、擬似的に回して楽しめる装置も用意されました。トラックボールを使って天球儀を回すと、北斗七星などのお馴染みの星座を見つける事ができます。
「昴(すばる)」、「織女(おりひめ星)」など現在でも使われる名前もあれば、「太宰府」など渋川春海が作った日本独自の星座も。トラックボール横のボタンを押すと、星座の名前が表示されます。
渋川春海の天球儀が楽しめます江戸時代の天文学者として忘れてはならないのが、8代将軍徳川吉宗。享保の改革で幕府を立て直した吉宗は自然科学全般に対して関心が高く、自らも実用的な観測装置を考案し、天体観測を行っています。
会場には、吉宗が長崎の眼鏡師・森仁左衛門に作らせたと思われる、長さ3.4mの巨大な望遠鏡も展示。また神田佐久間町、牛込、浅草などにあった江戸時代の天文台についても紹介されています。
ZONE 2「天文学者 徳川吉宗」展示後半は、江戸時代中後期の天文学者について。高精度の観測器具を開発した間重富、精度が高い寛政暦を作った高橋至時は、ともに麻田剛立の弟子。伊能忠敬は高橋至時の元で測量を学んでいます。
高橋至時の長男である高橋景保は翻訳でも活躍。次男の渋川景佑は、世界で最も正確な太陰太陽暦だった天保暦を完成させています。
会場最後には、旧暦(太陰太陽暦)を作れるコーナーも設置されました。新月から、次の新月の前日までがひと月になりますが、平均して29.5日しかないため、ずれが大きくなると閏月を入れます。ただ、入れてよい場所は「中気」が入らない月と決まっており…。詳しい解説は会場でご覧ください。
ZONE 3「高橋至時と市井の天文学者たち」、ZONE 4「高橋景保と渋川景佑」現在の暮らしは新暦(太陽暦)が使われているため、渋川春海の研究との繋がりはありません。ただ、300年以上も前でも真摯に学問に取り組んでいた姿勢は、今を生きる私たちの胸にも響いてきます。
企画展自体の規模は決して大きくありませんが、科博では常設展でも江戸時代の天文学について紹介を行っています(企画展会場すぐ向かいの日本館1F南側と、地球館2階)。あわせてお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年12月18日 ]