角川映画は1976年公開の「犬神家の一族」から、仕掛け人は角川春樹社長です。原作者の横溝正史は、実は当時「忘れられた巨匠」にされていましたが(原作の発表は1950年です)、ブームを仕掛けるため果敢に映画製作に打って出たのです。
当時は、映画は東宝や松竹や東映などの映画会社がつくるのが常識。出版社による映画製作は前代未聞でしたが、結果は大成功。その後もヒット映画を連発し、たちまち日本映画界の寵児となりました。
角川の強みは、柔軟な発想と実行力。「映画の敵」と見なされていたテレビにもCMを出すなど、積極的な広報戦略は時代を華やかに彩りました。
第1章「大旋風 ─ 角川映画の誕生」 会場冒頭には「水面から突き出た足」の撮影コーナーも1980年の「復活の日」までは大作志向が強かった角川映画ですが、その後は方針を展観。2本立てで上映される、アイドル映画路線を進めていく事となります。
「野性の証明」で高倉健の相手役としてデビューしたのが、薬師丸ひろ子です。当時から抜群の存在感でしたが、その人気は「セーラー服と機関銃」で爆発。薬師丸が歌った主題歌も大ヒットし、トップアイドルに上り詰めました。
第2の薬師丸ひろ子として、コンテストで発掘されたのが原田知世と渡辺典子です。原田知世も「時をかける少女」で大人気に、渡辺典子も「晴れ、ときどき殺人」などで活躍しました。「角川三人娘」は角川映画の絶頂期を象徴する存在といえます。
第2章「“角川三人娘”登場 ─ アイドル映画の時代」80年代以降は「幻魔大戦」「少年ケニヤ」など、アニメーションにも進出。さらに90年代には大作「天と地と」も手掛けていきます。
良くも悪くも、角川映画といえば話題が先行しているイメージがありますが、実は「蒲田行進曲」や「麻雀放浪記」も角川映画。評論家から高い評価を受けている作品も送り出しています。
1993年からは、新たに角川歴彦社長のもとで再生。「失楽園」や「リング」などの話題作は評判となりました。現在も過去作品のリメイクなどを含め、積極的に映画づくりを続けています。
第3章「アニメーションと超大作」、第4章「再生、そして現代へ」最後にご紹介したいのが、「当時の中高生男子の部屋をイメージして作った」(展覧会を担当した岡田秀則主任研究員)という特設コーナー。中央の椅子に座ると、左に渡辺典子、正面は原田知世、右には薬師丸ひろ子と、角川三人娘がこちらを見つめている夢のような世界が広がります。角川映画の絶頂期をリアルタイムで楽しんだ男性は、身悶えしてしまうかもしれません。
角川三人娘に囲まれる、夢の特設コーナーまさに筆者も、角川絶頂期の世代。会場最後では「セーラー服と機関銃 完璧版」など5本の角川映画の予告編も放映されており、往時の熱気が蘇ってきました。ただ、フィルムセンターの若い広報の方(女性)に聞くと「薬師丸ひろ子のイメージは“お母さん女優”」との事。あまりにも大きな世代間ギャップに、めまいがしそうです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年7月27日 ]■角川映画の40年 に関するツイート