世界的なデザイナー・森英恵さんが生まれた島根県。島根県立石見美術館は「森鷗外ゆかりの美術家の作品」「石見の美術」とともに「ファッション」がコレクションの柱になっています。
展覧会は同美術館より出品される約130点(うち衣装36点)の作品で、パリのオートクチュールを中心にモードの歴史を辿る企画。年代順の4章構成です。
フランス上流階級の装いだったコルセットで絞め上げたスタイルから、肩からゆったりと布が落ちる自然なスタイルに変わったのは、20世紀に入ってから。新しい時代の女性美は、次第に受け入れられていきました。
第1章 1900-1919年第一次世界大戦(1914-18)が終わると、社会には活気が戻ります。
1920年代は、狂乱(狂騒)の時代。女性解放の動きも盛んになり、少年のようなスリムなボディが美の基準となりました。ただ、華やかな時代は1929年秋の世界大恐慌で急停止する事となります。
インテリアに目を移すと、この時期はアール・デコから機能主義に移行していった時代。装飾を抑え、工業製品としての側面が強調されるようになりました。
第2章 1920-1939年第二次世界大戦ではパリにドイツ軍が侵攻しました。オートクチュール・メゾンも休業を余儀なくされますが、終戦翌年の1946年には早くもパリ・コレクションが再開。パリはファッションの本場として権威を取り戻します。
この時代になると、アメリカの台頭も顕著になります。建築やインテリアの分野ではナチスを逃れて欧州から渡ってきたデザイナーたちが斬新なデザインを提案。ファッションの新たな発信地として、ニューヨークの存在感も増していきました。
第3章 1940-1959年60年代になるとカウンターカルチャーに注目が集まります。若者文化はハイ・ファッションにおいても無視できない存在になり、ロンドンの街中で生まれたミニ・スカートも、オートクチュールに取り入れられました。
この章の冒頭にある鮮やかなピンクのドレスは、森英恵さんによるデザイン。日本の意匠を取り入れた繊細なデザインは世界を魅了し、1977年にはアジア人として初めてパリのオートクチュール協会に会員として認められました。
第4章 1960年代展覧会の図録(2,980円)は、A5判のコンパクトサイズながらコラムも多く読み応えたっぷり。ファッションの歴史に詳しく無い方にもオススメいたします。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年9月16日 ]※作品はすべて島根県立石見美術館所蔵
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