ヘレンドの前身は、1826年に創設されたクリームウェア製陶所です。上質な陶器を作っていましたが、破損しやすい事もあり現存する作品はごく僅か。展展覧会は、当時の貴重な皿からスタートします。
現在に至るヘレンドの名声を築いたのが、モール・フィシェル(1799-1880)です。貴族たちが所有していた磁器セットの割れてしまった器の補充や、逸品の複製などを積極的に手掛ける事で、ヘレンドの技術は飛躍的に向上。また当時盛んに行われた国際的な博覧会にも参加し、優れた製品が注目を集めるようになります。
この時期に最も高い人気があったのは中国の磁器、次いで日本の磁器でした。欧州の他の名窯と同様、ヘレンドも東洋磁器の複製を作る中で、技術を徹底的に研究しました。忠実なコピーを作るとともに、東洋のモチーフを取り入れた独自の造形も手掛けていきます。
第1章・第2章モール・フィシェルの息子たちの時代になると、従来の手法を引き継ぐ一方で、新しい製品開発も進めます。
セーヴル窯を意識した紺色の地に金彩を施したロココ風の装飾は、その一例。トロンプ・ルイユ(騙し絵)は絵画の手法ですが、立体版のトロンプ・ルイユとして、野菜や果物などを盛った器全体を陶器で表現したものもあります。
二重の器壁に透かし彫りの装飾を施した「ウエールズ」文は、この時代を代表する手法。高い技術に裏打ちされた豪奢な表現は、日本の明治工芸を思わせます。
柿右衛門のモチーフを取り入れた「ゲデレー」文は、オーストリア皇妃兼ハンガリー王妃エリザベートが愛したゲデレー宮殿で使うために作られました。
第3章19世紀末のハンガリーは建国1000年祭を控えて、民族意識が高揚。ヘレンド窯でも民族的な装飾様式「ハンガリアン・ナショナル」文様が確立し、重要なモチーフとなりました。
ふたつの世界大戦の間には、それまでほとんど作られなかった磁器人形にも進出。ハンガリー彫刻の傑作を磁器で再現しました。
第二次世界大戦後にハンガリーが共産圏に入ると、ヘレンドも国有化されます。一時、贅沢品としての磁器製作から離れますが、1990年代には再び民営化。窯の見学者に向けた設備を整え、社内アトリエも開設し、現在でも技術とデザインの両面でさらなる進歩を続けています。
第4~7章日本におけるヘレンド展は、1993-94年の「ハンガリーの名窯 ヘレンド陶磁名品展」、2000年の「ヘレンド ~ ドナウが育んだ名陶 皇紀エリザベートが愛した華麗なる輝き」以来3回目ですが、今回はブダペスト国立工芸美術館が所蔵する名品をはじめ、逸品が多数出展。過去最高のヘレンド展となりました。華やかな器の数々は、特に女性の熱い視線を集めそうです。
ふくやま美術館からはじまった巡回展で、
パナソニック 汐留ミュージアムで5館目。東京展が最終会場となります。一部の作品は展示替えがあります。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年1月12日 ]■ヘレンド展 に関するツイート