松江藩松平家第七代藩主・治郷(はるさと)こと、松平不昧。若い頃より茶の湯を好み、道具も積極的に蒐集しました。
会場は冒頭から、不昧が蒐集した名品が並びます。奥の展示室2にあるのは、国宝《大井戸茶碗 喜左衛門井戸》(展示期間:4/21~5/22、5/29~6/17)。不昧が所持していた三つの大井戸茶碗のうちのひとつです。
この茶碗を所持した人は腫物を患うという伝承があり、不昧も言い伝えどおり腫物ができてしまいました。心配した不昧の正室は茶碗を手放すように進言しましたが、不昧は妻の願いを一蹴。心底、この茶碗を愛していたのです(ただ、不昧の没後、子も腫物になったため、茶碗は他所に移りました)。
第1章「雲州蔵帳の名品 ─ 茶道研究の成果」不昧は10代初めから石州流茶道を学び、19歳で禅を志しています。江戸時代後期の茶道は遊芸化が進んでいましたが、不昧は利休の茶に帰る事を提唱、茶禅一味の茶の湯を目指しました。‘不昧’の号も、禅僧から授けられたものです。
不昧が所持した茶道具は、松平家の蔵帳といえる『雲州蔵帳』に記されています。雲州蔵帳には類本があり、本展では、今まであまり知られていなかった月照寺(松江市)所蔵の『御茶器帳(雲州蔵帳)』が出品されています。
不昧は56歳で隠居し、品川大崎の下屋敷(現在の御殿山)に移住。11棟の茶室がある庭園を造り、没するまでこの地で過ごしました。東都随一の名園と評判を呼びましたが、後年、黒船来航の際に品川沖警備の軍用地になり、取り壊されています。
第2章「茶の湯を極める ― 大名茶人の誕生」不昧は名品を蒐集するだけでなく、名品を手本とし、さらに自分の美意識を反映して、職人に道具をつくらせました。
蒔絵師の原羊遊斎につくらせたのが、豪華な《菊蒔絵大棗》。桃山時代につくられた余三作《高台寺棗》を手本にしたものです。
余三作の《高台寺棗》は複数あり、どれを元にしたのかはっきりしませんでしたが、『御茶器帳(雲州蔵帳)』の記述から、本展出品のものが不昧の旧蔵品である事が判明しました。
塗師では、初代・小島漆壺斎が有名。漆壺斎による《楽写菊桐蒔絵香合》も、不昧所持の古典作品から生まれたものです。
第3章「プロデューサーとしての不昧 ― 洗練を極めたお好み道具」不昧没後200年を記念する展覧会は、畠山記念館でも「
没後200年 大名茶人 松平不昧と天下の名物-『雲州蔵帳』の世界」展が開催中です。ふたつの展覧会で相互割引が行われており、半券の提示で入館料が割引になります。
※会期中に一部の展示替えがあります。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年4月20日 ]■三井記念美術館 に関するツイート