突然、古邨にスポットライトが当たったのは、昨年、茅ヶ崎市美術館で開催された「小原古邨展 花と鳥のエデン」から。開幕当時はそれほどでもありませんでしたが、10月にNHKの日曜美術館で紹介された事で、注目されるようになりました。
とはいえ、無名だったわけではありません。海外では展覧会の開催、カタログレゾネ(総作品目録)の制作、書籍刊行と研究が先行する中、ようやく日本が進みだした、ともいえます。
明治10年(1877)、金沢で生まれた古邨。もとは日本画家で、鈴木華邨に師事しました。展覧会にもしばしば出品しますが、評価はそこそこ。活動の場として見出したのが木版画でした。逆に、日本画家としての評価がもっと高ければ、今につながる古邨はいなかったわけです。
明治期に古邨の版元だったのは、秋山武右衛門(滑稽堂)と松本平吉(大黒屋)。明治期は淡い色調で、安定した構図の作品を数多く制作し、おもに海外からの観光客を中心に販売されていました。
作品を見てまず感じるのが、水彩画のように繊細な色合い。言われなければ、木版画とは思えないほどです。
そもそも一般的な浮世絵版画では、絵師は墨で輪郭線を描きますが、古邨の画稿は絹本に肉筆で描画します。つまり、画稿とはいえ日本画とほとんど変わりません。
画稿を版下絵にするのは、当時広まっていた湿板写真です。古邨の画稿は版画よりかなり大きいですが、写真ならサイズ変更も容易。画稿そっくりに作るため、彫師・摺師も技術を駆使し、極めて精度が高い版画を出版していきました。
滑稽堂、大黒屋ともに明治末には衰退したため、大正元年頃には肉筆画に戻りますが、昭和に入ると再び版画の道に。この時期の版元は、輸出向けの木版画「新版画」を牽引した渡邉庄三郎(渡邉版画店)です。
美人画の橋口五葉、風景画の川瀬巴水らを擁していた庄三郎。海外に人気が高い花鳥画を描ける名手として、明治期からの実績がある古邨はうってつけの人材でした。昭和期の作品は、色彩も華やかになります。
会場には画稿や試摺も展示されています。《月夜の桜》を見ると、画稿と試摺は赤紫色ですが、完成品は桜の木全体を藍一色にする事で、よりドラマチックに。マーケットを熟知した庄三郎の戦略が伺えます。
古邨の展覧会は、茅ヶ崎での紹介以前は、1998年に平木浮世絵美術館で開催されたぐらい。新版画を特集した展覧会でも、風景画が中心になる事が多かったため、花鳥画の古邨は埋もれがちでした。まさにブーム直前といえる古邨の全貌を、じっくりとお楽しみください。
展覧会は前後期で全点が展示替えされます(前期:2/1~2/24、後期:3/1~3/24)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年1月31日 ]