「自己犠牲の精神」や「主従関係の重視」など、日本型社会の要因として示されるサムライ。全てがそうではないにせよ、長きにわたったサムライの存在が、現在の社会にも影響を及ぼしている事は間違いないでしょう。
ひと口でサムライといっても、その実情はさまざまです。本展では具体的な資料を通して、江戸で活動していたサムライの姿に迫ります。
まず「プロローグ ―都市のサムライ―」から。江戸はシンボルとしての城郭を中心に、サムライが住む武家屋敷と、庶民が暮らす城下町からなる巨大都市です。サムライは庶民と混じって暮らし、その姿は江戸の人々にとって当たり前の光景でした。
第1章は「士 変容 ―武人から役人へ―」。戦いがなくなった江戸時代、サムライは行政官僚としての仕事が主になりました。城を築いたり、街道や河川を整備するのもサムライの役目です。
第2章は「士 日常 ―実生活のあれこれ―」。支配階級のサムライも、日常生活は一般的です。参勤交代にともなう江戸勤番は、侘しい単身赴任ぐらし。《久留米藩士江戸勤番長屋絵巻》には、気のおけない仲間と楽しく飲んで語り合うさまが描かれています。
第3章は「士 非常 ―変事への対応―」。火事と喧嘩は江戸の華。火事に対処するのもサムライの役目です。個性的な出で立ちの指揮官が火消集団を率いるさまは、まるで戦のよう。江戸は水害も多く、快速艇で退避者を救いました。
この章には歌川広重の資料もあります。広重は幕府定火消同心の家に生まれており、れっきとしたサムライ。デビュー後しばらくは、絵師と火消同心のダブルワークでした。
第4章は「士 交流 ―諸芸修養と人材交流―」。武家諸法度の冒頭で「文武弓馬ノ道」を勧めているように、武士は武芸と学問の双方が求められました。昌平坂学問所は幕府直轄の教育機関。剣術の鍛錬は、精神修養としての意味も含んでいます。
世襲による身分制度が原則だった江戸時代ですが、サムライと庶民は断絶していたわけではありません。川崎平右衛門は百姓出身ながら、代官にまで出世しています。
第5章「士 一新 ―時代はかけめぐる―」にある《文久遣欧使節団肖像写真》は、本展最大の見せ場です。幕府がヨーロッパに派遣した外交使節団で、ロシア・サンクトペテルブルクで一人ずつ撮影。写された本人による署名もあります。
役職は使節団の正使から医師、通詞(通訳)、家来とバラバラですが、それぞれ堂々とした立ち姿で、サムライのリアルな姿が迫ります。諸事情で取材レポートでは写真を紹介できませんが、ぜひ会場でお楽しみください。
最後は「エピローグ ―サムライ、新たな生き様―」。秩禄処分と廃刀令で、存在を否定されたサムライ。川村清雄は洋画家へ、井上廉は明治新政府の会計官僚へと、さまざまな道に進んでいきました。
展覧会には著名なサムライの資料も。ざっとあげるだけでも「遠山の金さん」こと遠山景元、「大岡裁き」の大岡忠相、エレキテルの平賀源内、そして勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の「幕末三舟」などなど。歴史ファン、必見です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年9月13日 ]
※会期中に展示替えがあります。