オランダ南部、ベルギー国境近くのフロート・ズンデルトで生まれたファン・ゴッホ。父は牧師です。伯父が経営する画廊で6年半働き、ルーヴル美術館やナショナル・ギャラリーなど多くの美術館に親しみました。
1880年、27歳で画家になる事を決意した頃は、先人の作品を熱心に模写。特にジャン=フランソワ・ミレーは生涯にわたって敬愛し、ミレーに倣って農民画家を目指しました。
この頃、オランダ南西方の都市・ハーグを拠点に活動していた画家のグループが、ハーグ派です。田園や海岸の豊かな自然と、庶民の暮らしを叙情豊かに描きました。
ハーグ派の作品に共鳴したファン・ゴッホは、1881年にハーグ派の指導的な画家であるアントン・マウフェを訪ね、指導を受けます。同年末にはハーグに移住、キャリア初期の重要な時期を、この地で過ごしました。
ハーグ派はヨゼフ・イスラエルスに始まり、マリス三兄弟、マウフェらが活躍しており、ファン・ゴッホは若い世代のアントン・ファン・ラッパルトと親しく交流しました。
ところが、1885年にファン・ゴッホが手掛けた自信作《ジャガイモを食べる人々》(リトグラフのみ展示。油彩画は未出展)を、ファン・ラッパルトは技術面から酷評。両者は手紙で激しい応酬となり、後にハーグ派とは完全に別離してしまいます。
ファン・ゴッホを支えたひとつ目の芸術家グループがハーグ派なら、ふたつ目は印象派です。この時期、印象派はパリを席巻しており、弟で画商のテオは、その魅力をファン・ゴッホに強く勧めましたが、当初はあまり興味を示しませんでした。
ところが1886年にパリに赴くと、目にした印象派の作品に衝撃を受ける事に。自身の作品もそれまでの暗い色調から一変し、いくつもの原色を用いた明るい画風に変化しました。
印象派の作品では、クロード・モネを高く評価。温厚な性格の派の長老で、誰からも慕われたカミーユ・ピサロとは個人的にも親しくなりましたが、ファン・ゴッホが印象派に入ることはありませんでした。
ファン・ゴッホに影響を与えた画家としては、印象派に先立つアドルフ・モンティセリも挙げられます。激しい筆使いと厚塗り絵具で独自の道を進んだモンティセリは、ファン・ゴッホに強いインスピレーションを与えました。
1888年には南仏のアルルに移住。ファン・ゴッホを代表する作品が、この地で数多く描かれました。経済的に困窮していたゴーギャンを呼び寄せて共同生活を送るも、2カ月で破綻。1889年にはサン=レミの精神療養院に入院しました。
ファン・ゴッホは療養院に入ってからも、それまでの経験を活かしながら制作を続けます。展覧会メインの《糸杉》は、この時期の作品。糸杉は街路樹などで良く見られる木ですが、過去の西洋絵画ではあまり描かれていません。ファン・ゴッホはこの作品を含めて、糸杉を数点を描いています。
会場では《糸杉》と近い時期に描かれた《夕暮れの松の木》《薔薇》にも注目です。ともに制作時からかなり退色しているので、鮮やかな色彩のコントラストを想像しながら、鑑賞してみてください。
東京展の後に、兵庫県立美術館に巡回します(2020年1月25日(土)~3月29日(日))。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年10月10日 ]