昨年(2011年)は没後150年ということもあり、各地で大規模な展覧会が行われた歌川国芳。情に厚い国芳にはたくさんの弟子がいましたが、そのひとりが明治期まで活躍した月岡芳年です。
本展では国芳と芳年の作品を中心に、幕末~明治期の浮世絵約120点が紹介されています。
会場入り口から
会場は四章構成。前半の「国芳『唐土二十四孝』 ─ 異国へのあこがれ」「国芳とライバル、門人たち」では歌川国芳を、後半の「若き芳年の活躍」「『大蘇』以降の芳年」の月岡芳年を取り上げます。
国芳の作品としては、同館が所蔵している『唐土二十四孝』の24点全てを展示。『小倉擬百人一首』は、国芳と初代歌川広重、三代歌川豊国が手がけたもので、当時の売れっ子三人による夢の競作です。
国芳と初代広重、三代豊国による『小倉擬百人一首』
月岡芳年が歌川国芳に入門したのは、数えで11歳。国芳は1861年に63歳で没した時、芳年は22歳でした。「武者絵の国芳」といわれた師の画風を受け継ぐように、初期には武者も数多く描いています。
一般的には「血みどろ絵」の画家として知られている芳年。代表的な作品でもある『魁題百撰相』も、もちろん紹介されています。こちらも、構図や人物の表現には師である国芳の影響が見受けられます。
『魁題百撰相』
月岡芳年は明治5年に病に倒れ、翌年には「大いに蘇る」ことを祈念して「大蘇」と称しました。大蘇芳年となってからは画風は一変。繊細な線による作品が増えていきます。
江戸から明治に移る激動の時代。世間をにぎわせた事件や日本古来の神話、そして江戸から続く浮世絵の王道でもある美人画も手がけ、明治の浮世絵師としての不動の人気を確立しました。
『風俗三十二相』
人情家だったという気風も師匠譲りだった月岡芳年。芥川龍之介や谷崎潤一郎らの文人にも愛され、その画業は後年の作家にもさまざまな影響を与えています。
浮世絵の展覧会は保存の関係で期間が短いことが多いのですが、こちらも4月1日(日)まで。美術館がある芹ヶ谷公園は緑がいっぱい、散策にも最適です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2012年3月14日 ]