※新型コロナウイルス感染防止のため2月28日(金)で終了
2008年の国立西洋美術館「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」以来となる大規模展。その際は、ほぼ無名といえる画家にも関わらず約18万人を動員し、話題になりました。
今回はハマスホイだけでなく、周辺の作品も数多く来日。19世期のデンマーク絵画が本格的に日本で紹介されるのは、これが初めてです。
第1章は「日常礼賛 ― デンマーク絵画の黄金期」。デンマーク絵画の黄金期は1800年代前半です。王立美術アカデミーの教授、クリストファ・ヴィルヘルム・エガスベアによる指導により、優れた芸術家が育ちました。
エガスベアは、ローマで実践されていた「戸外での風景画制作」という最新の手法を、故国に導入しました。それまで注目されていなかったデンマークの風景から、多彩な作品が生まれています。
肖像画も、注文主がそれまでの王侯貴族から、当時台頭してきた市民階級に変わったため、飾り気のない親密な描写が主流になりました。
当時、ドイツやフランスではドラマチックなロマン主義が主流でしたが、デンマークでは素朴な表現が特徴的です。「くつろいだ、心地よい雰囲気」を意味する“ヒュゲ(hygge)”を好む気質は、後の世代の絵画にも引継がれていきます。
第2章は「スケーイン派と北欧の光」。スケーイン(Skagens)は、ユラン(ユトランド)半島北端の町の名前です。
1848年、ユラン半島南部のシュレースヴィヒとホルシュタインの2地域の帰属について、デンマークとプロイセンで紛争に。国内ではナショナリズムが高揚し、絵画でもデンマーク固有のモチーフが求められていきます。
デンマークらしさを求める画家たちが各地に足を延ばす中で、1870年代初頭に「発見」されたのが、漁師町のスケーインでした。
厳しい自然の中でたくましく生活する漁師たちの姿は、国民的な主題として受け入れられます。この地に集った画家は、芸術家のコロニーを形成。やがてスケーイン派と呼ばれるようになりました。
第3章は「19世紀末のデンマーク絵画 ― 国際化と室内画の隆盛」。時代が進むと、アカデミーの古い体質に反発した学生たちが、1891年に「独立展」を結成しました。外国の新しい芸術が紹介され、デンマーク美術は大きく進歩します。
1880年代以降の特徴として、室内画の流行が挙げられます。子どもなどが登場する温かい場面は「幸福な家庭生活」をイメージさせ、広範な支持を集めていきました。
第4章「ヴィルヘルム・ハマスホイ ― 首都の静寂のなかで」。お待ちかねのハマスホイの作品は、この章で重点的に紹介されます。
ヴィルヘルム・ハマスホイは、コペンハーゲン生まれ。制作はコペンハーゲンが中心で、前述したスケーインなどには一切興味を示さなかった事も、同時代の画家とは一線を画しています。
一見してわかるように、ハマスホイの作品は灰色を基調とした繊細な色調です。当時の保守層には受け入れ難い作風で、デビュー作(本展には未出品)は、画壇で論争になりました。
とりわけ高く評価されているのが、1890年代半ば頃から数多く描いた室内画です。1898年にストランゲーゼ30番地に転居し、自宅の古い室内を描いた作品で、独自のスタイルに到達します。
時代は全く異なりますが、同じ室内を繰り返し描いた事と、静謐な画面から、“北欧のフェルメール”とも評されるハマスホイ。ストイックな作品は、フェルメール同様に日本でも人気を集めそうです。
東京展の後に、山口県立美術館に巡回します(4/7~6/7)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年1月20日 ]