江戸時代から近代にかけての絵画、300点以上を所蔵する敦賀市立博物館。本展は同館の作品を中心に、「ふつう」の美しい作品がなぜ美しいとされるのか、大きく2章で紐解いていきます。
会場入口から赤い通路を進むと、まずは「ふつう」の前に奇想の作品から。曽我蕭白の荒々しい筆致、薄気味悪い人物描写は、異様な個性が全面に出ています。
第1章は「ふつう画の絵画史」。江戸時代に完成された美を守る役割を担ったのが、やまと絵にルーツを持つ土佐派と、漢画から始まった狩野派です。
天皇や貴族による雅な世界を描いた、やまと絵。平安時代から続くやまと絵は、宮廷画家を務めた土佐派の十八番です、住吉派、板谷派に受け継がれました。
明るい色使いで、線も形も柔らかなやまと絵は、武家社会である江戸時代においても、憧れの世界として受け入れられました。
幕府の御用絵師として、長期にわたって君臨したのが狩野派です。中国由来の絵画のスタイルを、日本流にアレンジして広めました。
狩野派の絵画がすんなり受け入れられた背景には、同じく中国由来の儒教に基づく道徳が、すでに日本に定着していた事もあります。
江戸絵画の流れを変えたのが円山応挙です。写生を重んじた絵画は革命的でしたが、あっという間に広まり、近代の日本画に繋がっています。いわば「あたらしいふつう」といえます。
原在中をはじめとする原派は、パーフェクトな形が特徴。モチーフの形が完璧に整っており、全体のスッキリ感は異様なほど。逆に個性的にすら感じられます。
岸駒は19世紀の画家です。若冲や蕭白より後の時代ということもあり、応挙風の色調や、沈南蘋風の取り入れました。オーソドックスな「ふつう」ではないものの、奇想とまではいかない、微妙なポジションです。
「ふつう」を良しとしてきた画家にとって、明治の開国は不幸でした。進んだ文明として、迫真的な絵画が流入。細部の描き込みだけに汲々とした結果、全体のバランスが悪くなってしまいました。
何が「ふつう」か分かったところで、第2章は「ふつう画の楽しみ方」。どこを見れば良いと思えるか、ポイントを解説します。
まずは、その技術の正確さ。当たり前ですが、江戸時代にはコピー機もインクジェットプリンターもないので、絹の布に手描きで描いています。繊細な花鳥画も、雄大な風景画も、全て筆による表現。改めて目を凝らすと、そのテクニックには驚かされます。
ついで、色彩の表現について。日本画で使われる岩絵具は、鉱物を砕いたもの。水に溶けないので、膠に混ぜないと画面に定着しません。化学的に作られた現在の絵の具とは異なる制約の中で、工夫を凝らした色使いがみられます。
一方、黒一色で表現する水墨画にも別の魅力があります。色の濃淡以外に工夫できることはないにも関わらず、優れた作品では光や風、さらには喧騒や静寂など音まで、表す事ができるのです。
美にはルールがあり、定められた美に近づくのが優れた美術家というのは、ある意味、正論と言えます。「何よりも個性」を求め続けている現代のアートシーンとの比較という意味でも、とても興味深い展覧会でした。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年3月17日 ]