2011年夏からマリー・ローランサン美術館(長野:閉館)、
高梁市成羽美術館(岡山)、
一宮市三岸節子記念美術館(愛知)、
神戸市立小磯記念美術館(兵庫)と巡回し、最後の開催地として
ニューオータニ美術館にやってきた本展。展覧会は3章による構成です。
第1章 パリの画家、マリー・ローランサンの展開
第2章 パリの華やぎ
第3章 日本人画家の活躍
会場マリー・ローランサンは1883年、パリ生まれ。画家を志した当初は象徴主義、表現主義、フォーヴィスムなどパリで次々に誕生する新しい芸術様式を模索し、浮世絵の模写を試みたこともあります。
やがてピカソやブラックらとともにキュビスムの一員として活躍。離婚してパリに戻った1921年からは良く知られる幻想的で華やかな絵画に転換し、大きな人気を得るようになりました。上流社会ではローランサンに肖像画を描いてもらうことがステイタスとなり、自らも社交界でエレガンスなパリジェンヌとして過ごしました。
マリー・ローランサン《扇を持つ若い女》各国から多くの画家が集まっていた1910年代から30年代のパリ。自分の才能を信じて、日本からも多くの若い芸術家がこの街を目指しています。
本展で紹介されているのは児島虎次郎、徳永仁臣、里見勝蔵、佐伯祐三、岡鹿之助、萩須高穂、佐分眞、小磯良平、古家新、三岸節子。彼らはフランスで大成功していた藤田嗣治やヴラマンク、ユトリロ、ドラン、ルオーなどと交流しながら腕を磨いていきました。
会場日本人作家の作品が並ぶ展示室では、魅力的な2枚の裸婦図が並んで紹介されています。
児島虎次郎は本展の日本人作家の中では最も早く渡仏(1908年)。草むらに横たわる裸婦《裸婦と椿》は、児島が学んだ黒田清輝の師であるラファエル・コランの作品を彷彿させます。児島は印象派のイメージが強い画家ですが、初期のこの作品からは確かなデッサン力を見ることができます。
徳永仁臣(とくながひとおみ)は1911年渡仏。児島と同じ岡山の出身で、フランス留学中には交遊していました。白いベッドに横たわる女性を描いた《瞑想》は、ゴヤの《裸のマハ》を連想させます。
児島虎次郎《裸婦と椿》と徳永仁臣《瞑想》が並びます本展は美術館の全国組織「全国美術館会議」内の小規模館研究部会の共同企画展として企画されました。小さな美術館も個性的なコレクションを連携させることで、魅力的な企画展を作り出せることを示した好例といえるでしょう。
前期の展示は8月19日(日)まで。8月21日(火)からの後期展示は一部の作品が入れ替わります。(取材:2012年7月18日)