世田谷区奥沢にある
宮本三郎記念美術館は、2004年4月に開館。世田谷美術館の分館としては
向井潤吉アトリエ館、
清川泰次記念ギャラリーについでオープンしました。
宮本は1905年に石川県の御幸村(現小松市)で誕生。上京・結婚を経て1935年に当地に住居兼アトリエを新築し、1974年に亡くなるまで代表的な作品の多くをこの地で制作しました。
本展では宮本の作品を年代別に振り返ります。最も古いものは1922年制作、宮本が17歳の時の作品から、最後は絶筆となった1974年、69歳の作品まで全35点です。
本展では作品のキャプションで、作品名や制作年とともに作品を制作した時の宮本の年齢が紹介されています。「これは何歳の時に描いたもの?」と思い、作者の生年を引き算しながら観ることが多かった筆者にとって、この説明は理想的。ぜひ他の美術館でも採用していただければと思います。
宮本は画業の中で何回か大きく作風が変わっています。従軍画家として写実に徹した作品から、荒々しい筆致の絵までかなり幅がありますが、ベースになっているのは確かなデッサン力。その力量は「デッサンの神様」安井曾太郎も一目置いていたほどといいます。
動物や風景を描いた作品も残されていますが、宮本が一番描きたかったのは「人間」そのもの。会場のバナーには、宮本が遺した言葉が掲げられています。
絵画は人間をかくことから次第に遠ざかってきている
文学はいまでも人間を書きつづけているんだ
人間との対決は絵画でも永遠なことだ
最初期の作品から晩年の裸婦まで、徹底して人間の表現に心血を注ぎました。
晩年に近い時期の作品は、鮮やかな色彩が目立つようになります。
館の所蔵作品で最も人気がある《ヴィーナスの粧い》は青、絶筆となった《假眠》は赤。華やかな色彩の中に浮かび上がる裸婦は肌の表現が感動的で、息を呑むような艶かしさです。
自由が丘から歩いていける住宅地の中にある、瀟洒な白い美術館。決して大きくはありませんが、いかにも美術館らしいゆったりとした時間をすごすことができます。(取材:2012年8月10日)
※文中の年齢表記は、すべて数え年です