通算幕内優勝32回、六場所連続優勝2回、全勝優勝8回。初優勝、新大関、新横綱はいずれも史上最年少(当時)と、数々の記録を打ち立てた大鵬。引退からすでに42年が経ち、現役時代の勇姿を知らない方も多いのではないでしょうか。
前の企画展の終了を早め、急遽はじまった「第四十八代横綱 大鵬を偲んで」展。入門から引退後の活動まで、大鵬が相撲界に残した足跡を辿ります。
在りし日の大鵬。土俵入りは雲龍型横綱大鵬こと納谷幸喜は昭和15年生まれ、父はウクライナ人です。昭和31年に二所ノ関部屋に入門。昭和34年には新十両に昇進し、伝説上の巨大な鳥に由来する四股名「大鵬」となりました。
昭和35年初場所に新入幕。ここで初日から11連勝を含む12勝3敗で敢闘賞を受賞し、彗星のごとく現れた色白の美男力士は大きな人気を集めます。ちなみに、新入幕で初めて敗れた相手が、後に「柏鵬時代」を築くことになるライバル、柏戸でした。
同年の九州場所で初優勝し、場所後には新大関に。翌年には新横綱と、猛スピードで階段を駆け上ります。
入門から5年。メキメキと力を付けて史上最年少(当時)の21歳3カ月で横綱に横綱になってからも圧倒的な実力で角界に君臨。昭和44年夏場所には史上空前の30回目の優勝を達成し、その功績が認められて一代年寄が授与されました。
昭和46年夏場所に引退し、大鵬部屋を創設。昭和52年に脳梗塞で倒れる不運もありましたが、関脇巨砲をはじめ14人の関取を育成しました。日本相撲協会を定年退職した後は、第5代の相撲博物館館長に就任。社会貢献活動も熱心に行い、晩年まで人々に愛された大横綱でした。
昭和44年夏場所に30回目の優勝、その功績が認められて一代年寄に会場では、2005年に紫綬褒章を受章したことを記念して製作されたDVDも放映されています。
柔軟な長身と懐の深さで四つ相撲でも押し相撲でも対応できた大鵬は「型が無いのが大鵬の型」といわれるほど。ライバルの柏戸とは37回戦い、大鵬の21勝16敗でした。
相手次第でどんな取り口でもできた高度成長期の日本の姿と重なるように右肩上がりで相撲界の頂点に上り詰め、国民的なスターとなった大鵬。娯楽が少なかった当時と現在とでは相撲を取り巻く環境は異なりますが、若い頃の凛々しい大鵬を見ると「もし大鵬の新入幕が今年だったら」と想像してしまいます。
取材の当日、大鵬に国民栄誉賞が授与されることが正式に決定。遅きに失した感は残念ですが、またひとつスターに勲章が加わりました。(取材:2013年2月15日)