伊万里焼の海外輸出が本格的に開始されたのは1659年。すでにヨーロッパで人気を博していた中国の景徳鎮の磁器輸出が、中国・明清王朝の交代に伴う動乱や海禁政策で激減してしまったことに端を発します。
景徳鎮の磁器の代用として本格的な輸出が開始されたとあって、初期の伊万里焼は模倣が主です。中国風の人物が描かれていたり、景徳鎮で盛んに作られていた芙蓉手(ふようで)などが代表的です。
やがて、日本独自の絵付けがされた磁器が輸出され始めます。1670年代からは、乳白手(にごしで)とよばれる乳白色の地に繊細な色絵を施した柿右衛門様式が登場。ヨーロッパの宮殿で大人気になりました。
第1章 伊万里、世界へ 1660~1670年代 第2章 世界を魅了したIMARI 1670~1690年代伊万里を愛した王侯貴族たちは、こぞってコレクションを宮殿に並べました。1690年代から好まれたのが金襴手(きんらんで)様式の絢爛豪華な陶磁器です。東洋陶磁のコレクターだったザクセン選帝侯のアウグスト強王が、伊万里を多くコレクションしたのもこの頃。しかし、1684年から中国の清王朝が輸出を再開。伊万里は景徳鎮の大規模生産に押され始めていきます。
会場に並ぶ作品は、大きな壺に金の絵付けや透かしが施されたり、蓋に人形が乗ったりと、とても豪華。ヨーロッパの宮殿を想像しながらご覧ください。
第3章 ヨーロッパ王侯貴族の愛した絢爛豪華 1690~1730年代輸出された伊万里の多くは、注文生産で作られました。そのため江戸時代の暮らしとは無関係の、アルファベットが書かれた調味料入れや、ティーカップとソーサーのセットなど、西洋の生活文化に沿った品も多数見られます。
ティーカップやチョコレートカップが並ぶ台は鏡張りですが、これもヨーロッパの宮殿で好まれた展示方法に倣ったもの。鏡に映して多くのコレクションがあるように見える工夫がされていました。
現代のデザインとは少し違って取っ手がありません。背が低いものはコーヒーカップやティーカップ、背が高いものはチョコレートカップと考えられています伊万里焼は、再び勢いを取り戻した景徳鎮との激しい競争を強いられます。アムステルダムで描かれた原画をもとに、景徳鎮と伊万里が同じ内容の絵付けをしたものや、伊万里焼の文様を景徳鎮が写したものなどを見ることができます。
そして、伊万里のコレクターだったアウグスト強王の死去に伴い、伊万里のヨーロッパでの人気は下火になり、1757年に伊万里の公式な海外輸出は終焉を迎えます。
第4章 輸出時代の終焉 1730~1750年代本展はこの後
松本市美術館(4/12~6/8)、
大阪市立東洋陶磁美術館(8/16~11/30)へ巡回。その後、大阪市立東洋陶磁美術館のIMARIコレクションは2015年12月には故宮博物院への展示も決定。日本から世界をめぐる伊万里焼の魅力に触れられる貴重な機会になりそうです。
[ 取材・撮影・文:川田千沙 / 2014年1月24日 ]