1982年に開館した
MOA美術館。創立者である岡田茂吉は、戦後の荒廃による東洋美術の海外流出を防ぐため1952年に財団を設立し、多くの東洋美術を蒐集しました。
現在のコレクションは絵画、書跡、工芸、彫刻など約3,500件。数もさる事ながら国宝3件、重要文化財65件、重要美術品46件を含む内容の充実も特筆されます。
梅が咲く時期にあわせて開催される本展には、国宝《紅白梅図屏風》を中心に、
MOA美術館選りすぐりの優品が揃います。
選りすぐりの優品がずらり本展は《紅白梅図屏風》だけでなく、
MOA美術館が所蔵する3つの国宝をすべて楽しむ事ができる豪華版です。
1つ目の《手鑑「翰墨城」》は、京都国立博物館の《藻塩草》、出光美術館の《見ぬ世の友》と並ぶ、「古筆三大手鑑」とされる名品です。「手鑑」(てかがみ)とは手(筆跡)のアルバムで、鑑賞の対象になった古筆を台帳のように編集したもの。《手鑑「翰墨城」》には奈良時代から南北朝・室町時代にわたる古筆切が、表と裏の合計で311葉あります。
もう1つは、野々村仁清《色絵藤花文茶壺》。実は、日本で作られた焼き物で国宝に指定されているものは5点しかなく、そのうちのひとつがこちらです
※。全体を均等に薄く挽いた技術力の高さと、白釉地に藤をバランス良くあしらった華麗な装飾は、仁清の茶壺で最高傑作とされています。
※他は、三井記念美術館の《志野茶碗 銘卯花墻》、サンリツ服部美術館の本阿弥光悦《白楽茶碗 銘不二山》、慶應義塾の《秋草文壼》、石川県立美術館の野々村仁清《色絵雉香炉》国宝 《手鑑「翰墨城」》と、国宝 野々村仁清《色絵藤花文茶壺》お待たせしました。《紅白梅図屏風》をご紹介しましょう。
江戸時代中期に活躍した尾形光琳。後に「琳派」と呼ばれることになった装飾的な技法は、後世の日本美術のみならず、200年後のクリムトにも大きな影響を与えました。
《紅白梅図屏風》は光琳の最晩年期の作品。背景は省略し、流水を挟んで描かれた二本の梅は、紅梅は全体が入っているのに対し、白梅は大部分が画面の外にあるなど、様々な点で対照的です。
流水の模様は、銀箔地に水文をマスキングして作ったもの。光琳は呉服屋の家に生まれたこともあり、工芸的な手法も絵画に取り入れています。
梅の花は、花弁を線描きしない「光琳梅」。樹は「たらし込み」による質感表現に加え、点状の苔も描き込んでいます。
近くで見ると、事前に想像していたよりも強い迫力を感じる作品。「琳派=華麗な装飾性」だけでは片づけられない、躍動感あふれる生命力が印象に残りました。
尾形光琳《紅白梅図屏風》企画展以外もじっくりと楽しんでいただきたい
MOA美術館。その他の見どころもご案内いたします。
館外の竹林の先には、尾形光琳の住居を復元した「光琳屋敷」。光琳が自ら書いた図面と、大工の仕様帖、茶室起し図などに基づいて建てられました。
装飾が特徴的な「片桐門」は、豊臣家の重臣で、賤ケ嶽七本槍の一人・片桐且元に因んだもの。且元が馬上のまま出入りしたと伝えられる大門です。
大きな茶室は「一白庵」。奥では四季折々の茶道具を展示しており、取材時には尾形乾山による水指《色絵唐花文》がありました。
多くの来館者の目をひきつけるのが、豊臣秀吉が自ら茶を点じて正親町天皇に献じた「黄金の茶室」の復元。茶道具も含めて黄金尽くしで、眩いばかりの輝きです。
館内外に見どころは多数三井記念美術館の国宝 円山応挙《雪松図》は1月、
根津美術館の国宝 尾形光琳《燕子花図屏風》は4~5月と、その時期にその場所でしか見られない至宝。《紅白梅図屏風》も、東日本大震災の被災地支援で2012年3月に仙台市博物館で展示された以外は、基本的に門外不出です。ネットで何でも分かるような気がする時代だからこそ、「その時期にその場所で」の感動は格別です。
電車なら、東京から熱海まで新幹線で50分、在来線でも2時間弱。距離的には熱海駅から徒歩も可能ですが、かなりの坂道なのでバスかタクシーの利用をお勧めします。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年2月4日 ]