清麿(本名 山浦 環)は、信州小諸の生まれ。18歳で兄の真雄(まさお)と初めて刀を造りました。21歳で江戸に出て、作刀に没頭。四ツ谷に鍛冶場を構えたことから、鎌倉時代の天才刀工「正宗」にちなんで「四谷正宗」と称されるほどの腕前でした。
会場入口から会場は「信濃から江戸へ」「萩へ」「源清麿の誕生」の3章構成です。
処女作から晩年まで24年間に造られた名刀を一堂に会し、その作刀人生を展観します。
会場清麿18歳の処女作が《脇指 天然子完利 二十七歳造之/一貫斎正行十八歳造之 文政十三年四月日》。当時、一貫斎正行(いっかんさい まさゆき)と号していた清麿が兄と造った、唯一の合作です。美しい地鉄と見事な刃文は、ただならぬ才能の持ち主だったことを示しています。
もう一点ご紹介するのは、清麿21歳の名作《脇指 信濃國正行/窪田清音佩刀 天保癸巳歳秋八月》。こちらは江戸に出た後に手掛けたもので、反りが大きく、勇壮な姿が特徴的です。
《脇指 天然子完利 二十七歳造之/一貫斎正行十八歳造之 文政十三年四月日》と《脇指 信濃國正行/窪田清音佩刀 天保癸巳歳秋八月》清麿の最高傑作といわれているのが《刀 号 一期一腰の大 銘 源清麿/嘉永元年八月日》。同じ銘の脇指とともに、全国愛好家垂涎の大小(だいしょう)として知られています。
リズミカルな刃文は、複雑で華やか。清麿の作刀の到達点ともいえる出来ばえです。
《刀 号 一期一腰の大 銘 源清麿/嘉永元年八月日》清麿は人気絶頂だった42歳の時に、突然自宅で自害。その理由はさまざまな憶測が流れていますが、今でも謎に包まれています。
佐野美術館、
長野県信濃美術館、
萩美術館と巡回し、ようやく東京まで巡回してきた本展。幕末に咲いた天才刀工の真髄をお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年2月25日 ]