石田徹也は1973年、焼津市生まれ。小学生の時に第五福竜丸事件に関心を持ち、「
ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸」を通じて、社会派画家のベン・シャーンの影響を受けました(被曝した第五福竜丸は焼津の遠洋マグロ漁船です)。
武蔵野美術大学在学中に、第6回グラフィック・アート「3.3㎡(ひとつぼ)展」でグランプリを獲得。コンビニの店員や警備員、工事現場の作業員などのアルバイトをしながら、作家活動を続けました。
活動の初期は、社会と世相に翻弄される現代人をテーマにした作品が目立ちます。会場入口で展示されている《燃料補給のような食事》も、「食事というより燃料補給に近い」という牛丼屋からの連想です。
本展では、初公開となる下絵も紹介されています。展覧会メインビジュアルの《飛べなくなった人》も、初期の段階でディテールまで構想が及んでいた事が分かります。
1章 起点…「創作方法を探したい」、2章 漂う人…「現実の何かに光をあてる」会場は、ほぼ年代順の構成(4章を除く)。1章~2章の初期作品に続いて、3章は1998年から2001年頃までの作品です。この時期の作品から、現実生活に密着した場面が増え、明らかに石田本人に見える人物も登場するようになります。
教室の生徒が顕微鏡と一体化した《めばえ》は、見ることと見られることをテーマにした作品。消防士が手を差し伸べる《無題》も、あまり救出されたくない雰囲気です。表情の乏しい人物と、時間が止まったような場面の奥に、底知れぬ沼が潜んでいるような作品が続きます。
3章 変化「他人の自画像」4章はチャリティーのための作品や、本や雑誌の仕事など。石田は雑誌「Number」の挿絵を数年に渡って担当していたほか、大槻ケンヂの著作の表紙絵なども手がけていました。
矢吹ジョーのように「真っ白な灰」になったキング・カズや、コックピットではなく側溝に収まっているF1レーサーなど。ユーモラスな絵画も、どこか重い印象が残ります。
4章 ユーモア「ナンセンスへと近づくことだ」最後の5章は、2000年頃からの作品です。それまではイラストボードなどにアクリル絵の具で描いていましたが、キャンバス+油彩に変わっていきます。
画材が変わった事で塗り重ねも増え、表現方法も重層的に。病院、薬、枯れ木、性器など、生と死を連想させるようなモチーフも多くなります。
最期の作品は、机を前にした男性。逞しい腕の半袖姿ですが、その表情は思いつめたように見えます。卓上には白い紙が置かれていますが、何か描かれるはずだったのかどうかは分かりません。
5章 再生「とにかく かく」海外のアートフェアにもしばしば出展するなど、積極的に作品を発表していた石田。没後のアトリエから未公開の作品が大量に見つかっており、展示の機会に左右される事なく、ただひたすらに作品を作り続けていました。
どこか人を食ったような表現の中にも、絵に賭けた強い想いが溢れる作品の数々。都心近くとは言い難い
平塚市美術館ですが、今年有数の充実感を覚えた、重量級の展覧会でした。
本展は
足利市立美術館からの巡回展。平塚の後は
砺波市美術館(9月6日~10月5日)、
静岡県立美術館(2015年1月24日~3月25日)と回ります。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年4月11日 ]